昔と違い。時子も今は、めったに、外へ出ることもない。 出るにも入るにも、六波羅殿の北の方と侍
かれては、身軽にもゆかないし、また、子どものいつか、男女十人近くも産んでいる。 「よく、産んだもの」 と、われながら、時にはおどろく。 しかし、良人おっと
の清盛も、男ざかりだし、彼女とてまだ四十を出たばかりである。その良人がなかなか眼の離せない多情な人だけに、彼女も今から老いこんではならないと気を張っていた。 十人近い子の母でありつつも、良人に飽かれない妻でもあろうとする女の四十は、なかなか男心には酌く
んでも酌みきれない複雑さと不愍ふびん
な心がまえとを、潜めているにちがいない。 その一例が、去年の常盤と良人との、問題であった。 まず、それは、片づいたので、彼女もほっとしたところであろう。同時に、彼女は、 (もう、これ以上、良人の出世は、望みたくない。ただ、ふたたびあんな苦労のないように) と、いう願いで、いっぱいだった。 女が良人をつなく美に自信が欠けてくるころ、良人の方は、男としての体力や、知恵体験を完璧かんぺき
して、全欲望を、「これからの生きがい ── 」 とばかり、いろんなことをやり出すのである。良人が、妻にとって、始末の悪い悪童になり出す時期が、ちょうど、彼女の年齢に来ていた。 ──
ふと。車が止まった。 時忠の車が、彼女の車の横へ、寄っていた。 「姉君。・・・・御簾みす
をあげて、しばし、御見物なさいませんか」 「どこですか。ここは」 「西八条です。── かなたは、島原の里、壬生みぶ
の里。ふた筋の川は、紙屋川かみやがわ
、御室川おむろがわ です。・・・・そして、はるか末に、淀よど
が見えましょう。なんと、広やかなながめでしょうが」 「仙洞御所に伺うのに、何しに、こんな田舎いなか
めいた都はずれへは」 「いえ、いえ。さして遠まわりでもありません。・・・・まあ姉君、よく見てごらんなさい。かなたこなたに働いている数千の人間を」 「あれは何をしているのです」 「新しい街まち
をここに創た てようとしているのです。縄なわ
を引いて、地割じわり を按あん
じている役人、土を運び、土を盛っている土工の群れ。また、遠く鑿のみ
の音が聞こえるのは、石工いしく
や大工たちの工匠小屋たくみごや
です。半年もしたら、この辺は、まるで違ってしまうでしょう」 「そして、何が出来るのであろう?」 「西八条のお住居です。また、御一門や家臣たちの家々です。自然、それの伴ともな
う町屋まちや もできましょう。──
古い都の中に、まったく新しい一区域、つまり平家町が、生まれるので」 「まあ、六波羅があるうえに」 「六波羅などは、狭くてならぬと、将来を考えての、お企くわだ
てに相違ない。何しろ気宇きう
の大きな清盛どののこと、何を考え出すか、測り知れません。まったく腹の大きなお人だ。・・・・そのお人の妻たる姉君です。よう御自覚あそばせい」 「時忠どの。あなたは、そんなことを、わたくしが、喜ぶとでも思っているのですか」 「もちろん、女と生まれて、そいう良人を持ったことは、祝すべきだと思いますが」 「滅相めっそう
もない。六波羅だけでもたくさんです。そのうえ、西八条の開地など、思うても煩わずら
わしい。殿に、思い止っていただきます」 興もなげに、彼女は簾れん
を下ろした。時忠には意外であった。じつは、どんなに姉も歓ぶかと、わざわざ道をまわらせて来たのだった。── それが、夫婦の間で、また問題になったりしては、逆効果というものである。 「・・・・いや、女とは、気の知れぬものだ。欲心、執着は、男以上なのに、歓ぶこと、歓ばない」 時忠は、車の中でつぶやいた。 二両の車は、やがてそこから遠くない八条堀川の
── 後白河上皇の仮御所へ近づいていた。 |