時忠は、蹴上
に行った次の日も、また早くに起きて、外出した。 前日と違い、今朝は、右少弁うしょうべん
の衣冠を正し、乗物も馬ではなく、網代車あじろぐるまを用い、従者も多数あまた
召し連れて、六波羅の女房門へ、横着けにした。 「時忠です。お支度がよろしかったら、すぐ御供を仕つかまつ
りましょう」 前栽ぜんさい
で車を降りて、御台盤所の召次めしつぎ
に、申し入れた。 邸内の車寄くるまよせ
には、一両の糸毛車いとげぐるま
が、紫房の御簾みす を垂た
れて、乗るべき人を待っていた。 車の花漆はなうるし
の屋形には、泥のあと一つなく、天平様てんぴょうよう
の蝶ちょう や鳥の毛彫けぼり
をした金銀の金具など、眼もさめるほどきらびやかである。 いや美しさをいうなら、糸毛車などは末のことで、やがて奥の細殿からこの車寄の広敷ひろしき
へ出て来た人々の色彩は、何と言ってよいか分からない。 それはたくさんな女房たちに取り囲まれた御台盤所の時子と、母に手を引かれた幼い姫とであった。姫は、この時mだ七つ。後には、高倉天皇の中宮となり、安徳天皇を生みまいらせた平ノ徳子
(建礼門院) なのである。 「時忠どの。お待たせしました」 「やあ、姉君でしたか。・・・・今日はまた、お見違えするばかりに艶あで
やかな御盛装で」 「仙洞へ伺うことなど、めったにありませんもの。・・・・それに、初春でもありますから」 「結構です。お美しく飾られるぶんには、いくらお美しく遊ばしても、たれも異議は称とな
えますまい。── いつか時忠の申し上げた苦言が、近ごろおくらか、功を奏して来ましたかな?」 「お戯たわむ
れはおよしなさい。あのように皆が、笑いを怺こら
えて、見ているではないか」 「笑えばよいのに、なぜ女房たちは笑いを怺こら
えてしまうのでしょう。厳きび
しいお人は、池ノ尼殿おひとりでたくさんです。姉君までが、尼殿に似て、こわいお方になっては困る。・・・・のう、徳子」 と、時忠は、姫の艶つや
やかなうない髪 (童形どうぎょう
の切下きりさ げ)
をなでた。そして、 「姫。・・・・この叔父さまと一つ車に乗って行こう。な、叔父さまが、車の中で、おもしろい話をしてあげる」 と、抱きかけた。 「いや」 と、徳子は、母の右の袂たもと
から左の袂へ、身を交して、かぶりを振った。 初めて、女房たちの笑いが、声になって出た。笑いの波に包まれながら、時子は姫を抱いて車へ入った。── 時忠の車が、その後に続いた。そして六波羅並木を、武者、車役人、雑色など、列をなして、八条堀川へ向かって行った。
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