〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/21 (火) しら びょう まち (三)

男は、人買ひとか いの朽縄くちなわ という、この界隈かいわい にも、よく顔を見せて歩いている女衒ぜげん であった。
朽縄というのは、もとよりあだ名で、へび という意味である。
「じゃあ今度は、今日の分の女を入れて、去年の秋から、十七人買い出したわかだな」
「へい。ずいぶん、骨を折って探しましたが、いくら都でも、そうそうは、旦那だんな のご御注文のような美人は、かず あるものではございません」
「まあ、一両年のうちには、また、上洛するから、その間には、なお心がけておいてくれ」
「ようございます。・・・・実は、もう一人、牛飼町の貧乏長屋に、とても、 がいるんですかね、余り年がいかないんで」
「いくつだ、その娘は」
「まだ、十三なんで」
「いいじゃないか、幼いうちは、おれの家で召し使っておく、一人ぐらいは、奥州へ下るとき、自分が連れて帰ってもよいし」
「ところが、ひどい貧乏のくせに、子は親思いだし、親も子を可愛がっていて、なかなかうんといいません。病人やら借金やらで、きょうの日も食いかねている家族ですがね。── ただ、あんな容貌美きりょうよ しは、見たことがない」
「そんなに、 か」
「まず、大げさに言えば、ゆく末、内裏の女御にょご 更衣こうい と比べても、見劣りはしますまい」
「惜しいなあ」
「惜しいもんでさあ。・・・・なんとかしたいと思っていますが」
「また金次第という前おきだろう」
「そこは、旦那・・・・ヘヘヘヘ」
と、朽縄くちなわ は、いやしいくちびる らして笑った。
二年か三年かに一度ずつ、吉次は、奥州から上洛して、その都度つど 、宿は、白拍子町のこの家と、決めていた。
長い滞在中、彼が、この町にこぼす金も、少ない額ではない。
また、金売り吉次といえば、奥州藤原氏の用達人として、洛中の商人なら、知らない者はない。
吉次は、秀衡ひでひら から、家中同様な資格を受けている者とも言われている。都の物資や文化を、また、美人までを、奥州へ輸入していた。もちろん、奥州の産金を主として、馬匹、うるし 、絹なども、輸出していたのである。
清衡きよひら基衡もとひら秀衡ひでひら と、三代にわたって、奥州藤原氏が、平泉の地を中心に、建設しつつある “みちのくの京都” は、すばらしい規模と、巨大な富とをかけて、進んでいる。
── 中尊寺、毛越寺、金色堂、その他の坊舎、城門都市の形式など、すべて都ぶりを、移植しようという国力的な事業であった。
もとより、それに必要な輸入資材は、京都だけに求めるのではない。また、派遣されている購入使や、秀衡の家人けにん も、全国的に、出ていて、吉次ひとりが、一手に命じられているのでもなかった。── 彼はただその内の一名というに過ぎない。
去年の晩秋からの長逗留ながとうりゅう で、彼としての、今度の用事は、すべてすんだ。しかし、いつも思いのままにならないのが、美人探しであった。
美人の血液は、むかしから、千里の山河を旅して、ずいぶん多量に、都から奥州へ下っている。
“京女” は、坂東平野から、東北奥地の男の、あこがれであった。
そのため、東海道や、武蔵野を、北の果てへと、誘拐かどわか されてゆく人買いばなしは、昔から絶えない。
── が、吉次は、決して、女を、誘拐かどわか しているのではない。充分な幸福を約して、そして、身の代金しろきん も与えて、平泉への移住をすすめているのだが、みちのくといえば、蝦夷地えぞち と考えて、よほどの事情でもなかれば行き手はなかった。── 勢い、人買いの朽縄くちなわ を使って、貧しい中から、珠玉を探すことになる。
「・・・・あの。加茂太夫様が、もしご来客ならば、また来るがと、仰っしゃいますが」
宿の女が、また言って来た。吉次はあわてて、
「では朽縄くちなわ 。おれの立つ日までに、もし間に合ったら、その子を、見せてくれ。いいか」
と、言い残したまま、急いで、べつなむね の方へ、縁を渡って行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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