〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/20 (月) しら びょう まち (二)

彼は根からの匹夫だが、さん をなしてからもら った妻の梅野は、廃氏はいし の家 (藤原氏の族姓から除外された公卿) の山蔭中納言といういう者の娘だった。
その梅野に弟がある。
清盛は、これを取り立てて、五条ごじょうの 那綱くにつな と名乗らせた。院の蔵人所くろうどどころ へ、召次めしつぎ として入れ、今では、非蔵人ひのくろうど の末席となっている。
また朱鼻の伴卜には、
防鴨河使ぼうかし
という、彼にふさわしい官職をさずけた。
防河使ぼうかし 」 というのは、加茂川の治水や護岸を、常に巡視したり、工をとく して、万一に備える小役人や人夫の土木どぼくちかさ である。階位は五位なので、 「加茂太夫かものたゆう 」 ともいう。
地下ちげ朝臣あそん ではあるが、太夫ともなれば、院へも朝廷へも、時には、衣冠して参内もする身である。──この正月、彼は、従者を従え、晴れの姿で、大路を歩いた。
また、朝廷の御式事にも、はるか、列の端ではあるが、式場につら なって、むかしの雑色ぞうしき 時代を、ひとり、思い出していたことであった。
「やれやれ。位階官職を身に持つのも、悪くはないが、肩の ることだ。・・・・どこかで、久しぶりに、くつろぎたいが」
ふと、思い出したのは、去年からの商取引で、親しくなった奥州の吉次という金商人かねあきゆうど宿やど である。
「── 春早々、奥州へ帰りたいとは言っていたが、まだ滞留しているかもしれぬ。いてもよし、いあんkてもよし。ひとつ吉次の宿へ寄ってみようか」
そこは、東堀川ひがしほりかわ の、白拍子町しらびょうしまち だった。
軒ごとと言ってよいほど、白拍子の家がある。柳の木がある。行く水の清らかさ。
近年、ここに白拍子町が開けてから、その堀川は、いろいろ名で呼ばれだした。
「鏡川」 「君立ち川」 「思い染川」 「芥川」 「面影皮 など ── 一筋の川に、十幾つもの名があった。多情な遊子ゆうし の戯れは、川の名にも、多情をほしいまま にして、あれこれと、恋文になど書いたのであろう。
「吉次どのはおられるか。わしは、五条の加茂太夫だが」
朱鼻は、清洒せいしゃ な門を通って、ちょうど網代垣あじろがき の蔭に居た女を見たので、そう告げた。
「はい、いらっしゃいますが・・・・。ちょっと、お待ち下さいまし」
口を濁して、女の影は、奥へかくれた。おりふし吉次は、奥の渡りを越えた一亭の内で、人相の悪い男と、密談していたが、
「なに、加茂太夫。たれだろう、加茂太夫なんていう知り人はいないが」
と、不審がった。
客の男が、笑って教えた。
「それやあ、五条の朱鼻殿あけはなどの のことでしょう、去年の暮れ、任官して、五位の防河使になりましたからね」
「あ、あの鼻どのか。それは、大事なお客だ。どこか、よい部屋へお通し申しおいてくれ」
女には、そういいつけて、吉次はまた、男との密談を、ひそひそ続けていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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