彼は根からの匹夫だが、産
をなしてから娶もら った妻の梅野は、廃氏はいし
の家 (藤原氏の族姓から除外された公卿) の山蔭中納言といういう者の娘だった。 その梅野に弟がある。 清盛は、これを取り立てて、五条ごじょうの
那綱くにつな と名乗らせた。院の蔵人所くろうどどころ
へ、召次めしつぎ として入れ、今では、非蔵人ひのくろうど
の末席となっている。 また朱鼻の伴卜には、 防鴨河使ぼうかし
という、彼にふさわしい官職をさずけた。 「防河使ぼうかし
」 というのは、加茂川の治水や護岸を、常に巡視したり、工を督とく
して、万一に備える小役人や人夫の土木どぼく
ノ司ちかさ である。階位は五位なので、
「加茂太夫かものたゆう 」 ともいう。 地下ちげ
の朝臣あそん ではあるが、太夫ともなれば、院へも朝廷へも、時には、衣冠して参内もする身である。──この正月、彼は、従者を従え、晴れの姿で、大路を歩いた。 また、朝廷の御式事にも、はるか、列の端ではあるが、式場に連つら
なって、むかしの雑色ぞうしき
時代を、ひとり、思い出していたことであった。 「やれやれ。位階官職を身に持つのも、悪くはないが、肩の凝こ
ることだ。・・・・どこかで、久しぶりに、くつろぎたいが」 ふと、思い出したのは、去年からの商取引で、親しくなった奥州の吉次という金商人かねあきゆうど
の宿やど である。 「──
春早々、奥州へ帰りたいとは言っていたが、まだ滞留しているかもしれぬ。いてもよし、いあんkてもよし。ひとつ吉次の宿へ寄ってみようか」 そこは、東堀川ひがしほりかわ
の、白拍子町しらびょうしまち
だった。 軒ごとと言ってよいほど、白拍子の家がある。柳の木がある。行く水の清らかさ。 近年、ここに白拍子町が開けてから、その堀川は、いろいろ名で呼ばれだした。 「鏡川」
「君立ち川」 「思い染川」 「芥川」 「面影皮 など ── 一筋の川に、十幾つもの名があった。多情な遊子ゆうし
の戯れは、川の名にも、多情を恣ほしいまま
にして、あれこれと、恋文になど書いたのであろう。 「吉次どのはおられるか。わしは、五条の加茂太夫だが」 朱鼻は、清洒せいしゃ
な門を通って、ちょうど網代垣あじろがき
の蔭に居た女を見たので、そう告げた。 「はい、いらっしゃいますが・・・・。ちょっと、お待ち下さいまし」 口を濁して、女の影は、奥へかくれた。おりふし吉次は、奥の渡りを越えた一亭の内で、人相の悪い男と、密談していたが、 「なに、加茂太夫。たれだろう、加茂太夫なんていう知り人はいないが」 と、不審がった。 客の男が、笑って教えた。 「それやあ、五条の朱鼻殿あけはなどの
のことでしょう、去年の暮れ、任官して、五位の防河使になりましたからね」 「あ、あの鼻どのか。それは、大事なお客だ。どこか、よい部屋へお通し申しおいてくれ」 女には、そういいつけて、吉次はまた、男との密談を、ひそひそ続けていた。
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