去年の正月は、まだ、門松どころではなかった。 しかし今年は、年があらたまると、洛内一様に、門松が立った。 「これも平家の御時世となったおかげだ。六波羅殿の方へ、足を向けて寝てはすむまい」 朱鼻
の伴卜ばんぼく は、数十人の使用人を前に、元日の神酒みきく
を祝いながら、そう言った。 松の内は、親族、出入りの諸職、取引先、仲間の市人いちびと
などを、招待しつづけ、毎日、客も驚くばかりな盛宴のつづきであった。 その度ごとにやる主人側の挨拶にも、彼は必ず、 「六波羅殿のおかげ・・・・」 を言い忘れなかった。 かれにとれば、じっさい、どう随喜ずいき
礼賛らいさん しても、称たた
えきれない六波羅殿であったには違いない。 (なにしろ、ここの鼻殿が、ここ一年で儲けた額は、大したものだろう。これくらいな馳走ちそう
では安すぎる) と、冗談交じりに客も言う。 人情の常、人びとは、酒の間に主人の気を引いて 「まあ、今の御身代は、銭ぜに
につもれば、何万貫。砂金にすれば、何百両というものでしょうな」 と、かまをかけたりすると、朱鼻は、手を振って、それに答えた。 「冗談じゃない。そんな小さい儲けに、あくせくはせぬ。それくらいな金なら、将来、てまえが、ほんとに成功した時の祝いには、銘々様のお土産に、お膳ぜん
わきへ、熨斗のし をつけて進上いたしますよ」 「わははは。その百分の一でよいから、将来でなく今日というわけにはゆきませんかなあ」 話だけでも、初春はる
らしくていい。客は、どよめき笑った。主人の大法螺おおぼら
と笑ったのではない。この男のこと、将来、ほんとに、それくらいな芸はやるかも知れにないという気もしたのである。 市人いちびと
たちの中における彼の信用と力は今や絶大なものだった。 去年から造営中の仙洞御所せんとうごしょ
の建築資材は、彼が一手で納めて来た。 六波羅殿にも出入りしている、院の用達も承っている。洛内経済の大口なうごきで、彼の店を通っていない商談はない。 それもこれも、六波羅殿のおかげである。清盛の引き立てに会わなかったら、この繁昌はなかったろう。──
常盤のことでは、そしてあのあの後始末では ── ずいぶん彼も気骨を折ったし、財も費つか
ったが、思えば、物の数ではない。 常盤の身の始末を、ひとまず、大蔵卿長成の後妻として、片づけ終わると、まもなく、彼には、平治の乱に際しての功労として、二つの吉事がむくわれた。 一つは、六波羅の御台盤所に呼ばれて、
「これからは、前と変りなく出入りせい」 と、時子から、勘気かんき
を許されたことである。 もう一つは、内々、彼からも、清盛へ懇願していたことだった。 朱鼻が年来、宿望していたのは、官職と位階への、あこがれだった。 (──
おかしな心理よ。矛盾している) 彼自身でも、そうは思う。 けれど、近ごろの気持は、そう変って来ている。 人間は成長する。成長は変化だ。朱鼻のも五十近くになって来た。三十台の考え方に、変化を見たとしても不思議はない。 もともと彼が、一雑色ぞうしき
の下郎から、小商人の仲間へ、食う方針を変えたのは、位階官職への、反感と軽蔑けいべつ
からであった。公卿社会の閥ばつ
にたいして、 「── あほうよ。そんなものを誇ったり、あばきあって、喜んでおれ。おれはおれで、存分、金を儲けて、黄金の力で世を楽しんでみせてやる」 という立志であったはずである。 ところが、軽蔑していたものが、近ごろ、しきりに欲しくなって来たらしい。 小成金になってみると、女房は筋目のよい家からと考えるし、多数の召使を置くと、権威の必要を覚えて来る。 また商売上、公卿や武人との交際もしてみて、彼の頭脳の程度でさえ、政治ができたり栄爵にあずかれるなら、自分がそれを望んでも、不当ではあるまいという考えなども生じて来た。 要するに、彼の欲望も、人間の常道どおりを、平凡に、欲望し始めて来たのである。 |