〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/20 (月) しら びょう まち (一)

去年の正月は、まだ、門松どころではなかった。
しかし今年は、年があらたまると、洛内一様に、門松が立った。
「これも平家の御時世となったおかげだ。六波羅殿の方へ、足を向けて寝てはすむまい」
朱鼻あけはな伴卜ばんぼく は、数十人の使用人を前に、元日の神酒みきく を祝いながら、そう言った。
松の内は、親族、出入りの諸職、取引先、仲間の市人いちびと などを、招待しつづけ、毎日、客も驚くばかりな盛宴のつづきであった。
その度ごとにやる主人側の挨拶にも、彼は必ず、 「六波羅殿のおかげ・・・・」 を言い忘れなかった。
かれにとれば、じっさい、どう随喜ずいき 礼賛らいさん しても、たた えきれない六波羅殿であったには違いない。
(なにしろ、ここの鼻殿が、ここ一年で儲けた額は、大したものだろう。これくらいな馳走ちそう では安すぎる)
と、冗談交じりに客も言う。
人情の常、人びとは、酒の間に主人の気を引いて 「まあ、今の御身代は、ぜに につもれば、何万貫。砂金にすれば、何百両というものでしょうな」 と、かまをかけたりすると、朱鼻は、手を振って、それに答えた。
「冗談じゃない。そんな小さい儲けに、あくせくはせぬ。それくらいな金なら、将来、てまえが、ほんとに成功した時の祝いには、銘々様のお土産に、おぜん わきへ、熨斗のし をつけて進上いたしますよ」
「わははは。その百分の一でよいから、将来でなく今日というわけにはゆきませんかなあ」
話だけでも、初春はる らしくていい。客は、どよめき笑った。主人の大法螺おおぼら と笑ったのではない。この男のこと、将来、ほんとに、それくらいな芸はやるかも知れにないという気もしたのである。
市人いちびと たちの中における彼の信用と力は今や絶大なものだった。
去年から造営中の仙洞御所せんとうごしょ の建築資材は、彼が一手で納めて来た。
六波羅殿にも出入りしている、院の用達も承っている。洛内経済の大口なうごきで、彼の店を通っていない商談はない。
それもこれも、六波羅殿のおかげである。清盛の引き立てに会わなかったら、この繁昌はなかったろう。── 常盤のことでは、そしてあのあの後始末では ── ずいぶん彼も気骨を折ったし、財もつか ったが、思えば、物の数ではない。
常盤の身の始末を、ひとまず、大蔵卿長成の後妻として、片づけ終わると、まもなく、彼には、平治の乱に際しての功労として、二つの吉事がむくわれた。
一つは、六波羅の御台盤所に呼ばれて、 「これからは、前と変りなく出入りせい」 と、時子から、勘気かんき を許されたことである。
もう一つは、内々、彼からも、清盛へ懇願していたことだった。
朱鼻が年来、宿望していたのは、官職と位階への、あこがれだった。
(── おかしな心理よ。矛盾している)
彼自身でも、そうは思う。
けれど、近ごろの気持は、そう変って来ている。
人間は成長する。成長は変化だ。朱鼻のも五十近くになって来た。三十台の考え方に、変化を見たとしても不思議はない。
もともと彼が、一雑色ぞうしき の下郎から、小商人の仲間へ、食う方針を変えたのは、位階官職への、反感と軽蔑けいべつ からであった。公卿社会のばつ にたいして、 「── あほうよ。そんなものを誇ったり、あばきあって、喜んでおれ。おれはおれで、存分、金を儲けて、黄金の力で世を楽しんでみせてやる」 という立志であったはずである。
ところが、軽蔑していたものが、近ごろ、しきりに欲しくなって来たらしい。
小成金になってみると、女房は筋目のよい家からと考えるし、多数の召使を置くと、権威の必要を覚えて来る。
また商売上、公卿や武人との交際もしてみて、彼の頭脳の程度でさえ、政治ができたり栄爵にあずかれるなら、自分がそれを望んでも、不当ではあるまいという考えなども生じて来た。
要するに、彼の欲望も、人間の常道どおりを、平凡に、欲望し始めて来たのである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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