〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-T』 〜 〜

2012/04/11 (水) 二 代 の きさき (三)

佳人、薄命という。
たれも、この君を、薄命とは、見もしまい。けれど薄命という以上、多子の君は、数奇さつき な運命の女性であった。生まれながらといってよい。
まことの父は、右大臣徳大寺公能きみよし である。── が、幼少、叔母の幸子が嫁いださきの ── 悪左府頼長の養女にもらわれていた。
そして、近衛天皇十二の御年の、皇后になって、入内した。
かの女は、時に、十三であった。
いくばくもなく、保元の乱となり、養父頼長は、その元凶として追われ、宇治の野末で、非業ひごう最期さいご をとげた。
近衛天皇も、御年わずか十七で、崩御された。
・・・・・それからの五年の間にも、朝廷は、後白河天皇から、今上の二条と御代が変わっている。かの女は、芳紀ほうき まだ二十三でしかないのに、太皇太后という、まことに、遠い過去の象徴みたいな称号を持って呼ばれていた。
けれど、侍女たちは、略して 「大宮おおみや さま」 とも 「大宮所おおみやどころ さま」 ともお呼び申している。
御所は、近衛河原の東にあった。
侍女の 侍従じじゅう をあいてに、こと をひき、歌をよみ画を描き、極まれには、お好きな琵琶びわ を取り出して、手すざびし給うことなどもある。
容姿のおんうるわ しさは、近衛帝とおわかれになって、近衛河原の訪う人もない御所にお入りになってから、あたりが幽寂なせいか、なおさら、お美しさが増して来られたような ── と、人はひそかに言うのであった。
才媛さいえん としての、お筆の見事さや、琵琶、筝などの技は、むかしの紫の君や納言などの閨秀けいしゅう にも、おさおさ劣るものではないと、 式部しきぶ たちは、この、やごとなき麗人にかしず く身を、誇りともしたし、また、そのうも にも似た薄命を、いつも、うら悲しげに、さび しむのでもあった。
「あっ。・・・・あれっ・・・・」
小侍従は、虫の音の中で、はたと、足をすくませた。
表御門は、開けられたためし がない。裏門とても、めったには、開かないほどである。いつも人知れぬ大庭のすみの田舎門めいた草深い小道のかき を、そっと、女ばかりの通路としているのである。
小侍従はいま、何気なく、そこから河原の方へ、降りようとした。すると、また、いつもの人影が立っていたのである。夕月の青い下に、露もしとどに濡れて立っている。
「あ、もしっ・・・・小侍従どの」
狩衣かりぎぬ の朝臣は、片手に、 こま の口輪をつかみ、片手をあげて、逃げかかるかの女を、呼びとめた。
「── 待ってください。おねがいです。あなたが、今宵もここへ出てくださらなければ、わたくしは、夜どおし、明け方までも、駒と一緒に、露に濡れていなければなりませんでした。・・・・念じていた神のお救いです。小侍従どの、これを、大宮所さまのお手にさしあげてください」
「・・・・・」
「いやとは、仰せられますまい。これは、御製です、天子のお筆です。・・・・小侍従どの、恩歌のお返しを、いただいてください。── 多子の君から」
「い・・・いけません。わたくし・・・・お取次ぎいたすと、しかられます」
「夏にも、初秋にも、幾たびか、この頭国実とうのくにざね がおん使いに来ては、何度、お歌をさしあげてあることでしょう」
「で・・・・ですから・・・・もう、きつく、お受けすなと、お止めされておりまする」
「さいごです。これきりです。・・・・どうか、もう一度」
「でも」
と、去りがてに、こば んでいるまに、とうの 中将国実は、かの女のそばへ寄って来て、御製の恋歌を、そっと、かの女のふところに差し入れた。
小侍従は、身震いが出た。
勅筆と思うては、捨てもできない。
「御返歌は、今とは申しません。いただけるまで、また幾夜でも、通いましょう。そう仰せ上げてください」
頭国実は、馬に乗って、秋草の中を、帰って行った。
「どうしよう?」
小侍従は、困った。天皇の熾烈しれつ な恋歌を抱いて、その宵じゅう、途方にくれた。
が、思い切って、太皇太后の御文机のはしへ、そっと、乗せておいた。御方がお湯殿へ入られたその間に。
その夜も、翌日も、かの女は、はらはらしていたが、多子は、何も言い出さない。余りにさりげない御眉おんまゆ にさえ見える。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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