〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-T』 〜 〜

2012/04/11 (水) 二 代 の きさき (二)

二条の御母は、藤原懿子。その母君は、はやく、おかくれになった。
ために、おん繦褓むつき のころから、美福門院の手で、育てられたのである。
幼より御即位まで、まったく、女院の女房たちの中で人となられたことは、二条の御性格に、後天的感化がなかったとは決していえない。
挙止、御粧おんよそお いばかりでなく、御思考においてもである。
けれど、御頭脳は、極めて、すぐれていた。美福門院が、珠のごとく、愛育してきた自慢でもあった。さればこそ、後白河の第一皇子として、その受禅じゅぜん (皇位継承) には、美福も絶対に、この君を挙げたのである。
そして、美福腹の、鳥羽の皇女、?子内親王を、中宮ちゅうぐう としたのであったが、あわれ、今年の秋の初め、中宮?子は、剃髪して、寺院にお姿をかくしてしまった。
世にあり得ない恋をわずろ て、日夜、懊悩おうのう されている二条のお心を 「浅ましくも、つれなきつま よ」 と恨まれての遁世とんせい であろうとは、御匣殿みくしげどの の女房たちのささやきであった。
二条の恋は、それを、かえりみもしないほど、一面には情熱的で、一面には、冷酷であった。
あらゆる諌言も、耳にはしない。
また、臣下の諌めも、理をもってすれば理をもって、いいこめてしまうだけの、御頭脳の えを持っておいでになる。
清盛などは、ことに、その点ではすぐ言い負かされてしまう。
かれが、二の句もないてい で、黙り込んでしまったため、天皇は、 鬱々うつうつ のお胸が、ややスッとしたように、
「そうだろう、清盛、朕の言うことに、間違いがあるか」
と、誇られた。
御諚ごじょう は、ごもっともです」
そうお答えするしかない。
すると、二条は、なお御自身のお考えに、信念をもって、こう揚言あそばした。
「古来、天子に父母なし ── というではないか。それほど、絶対なるものとされながら、なぜ朕の私事わたくしごと を、皆して、先規せんき がどうの、世評がいかがかのと、 手?てかせ 足枷あしかせ をかけて、きゅうくつに、押さえつけるのか。── 国政の大事なものは、上皇の御意にも従い、上皇の御処断にも、お任せしよう。・・・・しかし、恋をすら、朕が、かくまでに恋うものすら、心のままにならないほどなら、万乗ばんじょう の位も、何かせん。・・・・ああ、つまらぬ。九五の そん とは、いったい、何か」
二条は、もう一個の清盛が対象ではない。
滂沱ぼうだ と、また、おん涙を新たに垂れて、人間としての、自由の権を、おもがきになるのであった。
「御位も何かせん ── と、ああ、それまでの御諚を伺っては、清盛とて、これ以上、何をか申しましょう。もうふたたび も三度も、かさねて、院におすがり申し上げてみるしかありますまい」
「おお。・・・・たのむ、たのむ、清盛」
二条は、おんそで をかき合わせて、大床子だいじょうじ の上に、泣き濡れた龍顔りゅうがん を、がばと、うつ伏せておしまいになった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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