〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-T』 〜 〜

2012/04/10 (火) てん のう こいたも う (四)

今日。── 太政大臣伊通これみち 、左大臣基実もとざね 、参議清盛の三人が、牛車を連ねて、物々しくも、大炊おおい 御門みかど の大徳寺家を訪うたのも、じつに、その最後の 「勅」 を秘めて、
「まず、あなたから、うんと、御承諾してください。そして、父たるあなたから、多子の君も、説きつけていただきたい」
と、ひざ詰めの交渉に行ったものであった。
その結果、公能もついに、
「勅なれば、これ以上、お断りしようもない。自分としては、お受けいたすが・・・・?」
というところまで、交渉は、進んだ。
「── けれどなお、多子は、何と言うかわかりません。それと、上皇の御意ぎょい も、いかがあろうや、これもはなはだ事むずかしく思われますが」
と、公能は、なおいい濁した。
そのさい、伊通と基実は、
「上皇のお許しを得るには、六波羅殿のほかにお人はいない。なんとか、御心の解けるように、あなたから、内奏していただきたいが」
と、清盛は、切に頼まれた。
事実、清盛自身も、いま、上皇に対して、それの言えるような者は、自分以外にないと思っている。
── で、伊通、基実に別れた足で、ただちに、八条堀川へ来たわけであった。そして夜にはいるまで、その問題について、上皇へお話ししてみた。
「いや、清盛。せっかく、おことたちも、心をくだいて、案じてくれているが、この儀だけは、いかに主上の仰せでも、かなうまい。── 世上の聞こえ、人倫のうえにも、いかがあろうぞ。── 天子の父としてこれが許せようか」
上皇はいつになく冷静だった。ご機嫌も決して悪くはない。けれど、太皇太后たいこうたいごう后返きさきがえ り ── 二代のきさき たることだけは ── 依然お聞き入れのもようもない。
そしてすぐ話は、滋子しげこ のことに移り、また滋子の近く産む御子みこ が、女子か男子か、などということの方へ、反れがちであった。
それもまた、御無理ではない。
後白河御自身とて、御年はまだ三十八。ほんとの、壮年期でいらっしゃる。
(・・・・・はて、弱った)
という清盛の顔つきだった。── しかし上皇のお気持もまたよくわかる。この壮年の父君が、まだいと若いお子に対し ── 主上とあがめられていられるにしても ── 骨肉の父として、不倫な恋愛を、人いちばい、不快に感じられるのは、当然である。他人には想像も及ばないほど、肉親のそういう行為には、自分を除外した妙な潔癖の出るものである。
多くの子を持ち、また、父の子でもあった清盛には、理を えた、そういう感情も身にひきくらべて、理解された。
で、かれは、むなしく、退出しようときめた。けれど退 がるまぎわに、もう一度、かれはこう奏して立ち帰った。
「何せい、主上は、御純情なのです。それは、われらの世俗流な者から見れば、びっくりするほど、御自身を偽らない、天真爛漫てんしんらんまんな呼吸を遊ばしている御生命なのです。決して、おかば いしていうのではありません。・・・・それだけに、いとど、このごろのおんやつ れは、世の人のこい せなどとも違って、ほんとに、お可哀そうに拝されまする。・・・・なお、清盛からも、おいさ めはしてみますが、あわれ、玉体をそこね給うて、御一命にもかかわりはしまいか・・・・と、それだけが、なんとも、お案じ申されてなりませぬ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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