日ごろは開けないはずの、貴人門が開かれている。 供待には、、おびただしい雑色
や舎人とねり がひかえ、中門脇わき
の車宿くるまやどり には、貴賓の客らしい数両の牛車が、きらびやかな轅ながえ
や簾れん をそろえて置かれてあった。 築土ついじ
の外に座り込んで屯たむろ している供の童わらべ
や牛飼たちに、 「貴人のお客はどなたですか」 と、西行が立ち寄って訊いてみると、物々しいのも道理である。── 太政大臣藤原伊通ふじわらこれみち
と左大臣藤原基実ふじわらもとざね
の二公に加えて、権中納言参議清盛が打ち連れての訪問であるという。 「なるほど、かような御門の繁栄では、当主のご出家など、思いもよらぬはずよ。むかしは、家従の端とも御覧あったであろうが、いまは野山の痩法師やせほうし
にすぎぬ西行が手紙の上の言葉などは、お胸にとまるわけもない」 彼はここでも自分の愚を悟ったし、かかるおりに、家人けにん
へ物を申し入れるのもはばかりありと考えて、そのまま杖を回かえ
して帰りかけた。 すると、後ろの方で、 「もしもし、師の御坊ではありませんか」 と、築土の横から、たれか追いかけて来た。振り向いてみると、西住であった。 「おお、西住よな。やはり右大臣家の内におったか」 「秋の初め頃から、ここの侍所さむらいどころ
の友を訪ね、かならず師の御坊が一度はここへお見えであろうと、日ごと、首を長くして、お待ち申しておりました」 「やれやれ、なつかしいのう」 西行は、真実の気持を言った。こんあにまで、人恋しさを、人の姿に、覚えたことはない。 同じような思いに、西住もまた眼に涙をためて、 「この春、天龍川でのお叱しか
りは、朝に夕に、忘れないことに努めております。愚鈍ながら、少しは、悟り得たところもありますゆえ、もう決して、あのような真似はいたしません。あのおりの口応くちごた
えは御勘弁くださいまし」 何より先に、かれはそれを言った。── いいたさに、毎日を待ち焦がれていたようにである。いい終わった後は、肱ひじ
をまげて泣き顔をかくしてしまった。 「西住。それは、おまえばかりの鈍着ではない。西行なども、じつは、おまえに輪をかけた愚物だと。・・・・ま、あとでゆるりと話そう。わしからも詫びねばならぬ」 「ど、どういたしまして。・・・・けれどこの路傍では、お話もなりますまい。裏の御門から、そっと、わたくしの屋借やが
りしている侍所まで、お越しあそばしませんか」 「でもきょうは、何やら御邸内に、貴信紳の御車がおびただしゅう見ゆるではないか」 「されば、今日のみではございませぬ。このところ、内裏だいり
の御秘事について、しばしば、お見え遊ばす方たちが、ただ今も、右大臣家とひそやかに、お話中なのでごじます。けれど、わたくしの屋借りしている所とは、遠く離れておりますゆえ、お気遣いにはおよびませぬ」 かれは、師を伴って、方ほう
一町以上もある長い築土を、いそいそと、裏門へまわって行った。 |