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〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/20 (月) い ず ち 昔 の 人 行 き に け ん (四)

日ごろは開けないはずの、貴人門が開かれている。
供待には、、おびただしい雑色ぞうしき舎人とねり がひかえ、中門わき車宿くるまやどり には、貴賓の客らしい数両の牛車が、きらびやかなながえれん をそろえて置かれてあった。
築土ついじ の外に座り込んでたむろ している供のわらべ や牛飼たちに、 「貴人のお客はどなたですか」 と、西行が立ち寄って訊いてみると、物々しいのも道理である。── 太政大臣藤原伊通ふじわらこれみち と左大臣藤原基実ふじわらもとざね の二公に加えて、権中納言参議清盛が打ち連れての訪問であるという。
「なるほど、かような御門の繁栄では、当主のご出家など、思いもよらぬはずよ。むかしは、家従の端とも御覧あったであろうが、いまは野山の痩法師やせほうし にすぎぬ西行が手紙の上の言葉などは、お胸にとまるわけもない」
彼はここでも自分の愚を悟ったし、かかるおりに、家人けにん へ物を申し入れるのもはばかりありと考えて、そのまま杖をかえ して帰りかけた。
すると、後ろの方で、
「もしもし、師の御坊ではありませんか」
と、築土の横から、たれか追いかけて来た。振り向いてみると、西住であった。
「おお、西住よな。やはり右大臣家の内におったか」
「秋の初め頃から、ここの侍所さむらいどころ の友を訪ね、かならず師の御坊が一度はここへお見えであろうと、日ごと、首を長くして、お待ち申しておりました」
「やれやれ、なつかしいのう」
西行は、真実の気持を言った。こんあにまで、人恋しさを、人の姿に、覚えたことはない。
同じような思いに、西住もまた眼に涙をためて、
「この春、天龍川でのおしか りは、朝に夕に、忘れないことに努めております。愚鈍ながら、少しは、悟り得たところもありますゆえ、もう決して、あのような真似はいたしません。あのおりの口応くちごた えは御勘弁くださいまし」
何より先に、かれはそれを言った。── いいたさに、毎日を待ち焦がれていたようにである。いい終わった後は、ひじ をまげて泣き顔をかくしてしまった。
「西住。それは、おまえばかりの鈍着ではない。西行なども、じつは、おまえに輪をかけた愚物だと。・・・・ま、あとでゆるりと話そう。わしからも詫びねばならぬ」
「ど、どういたしまして。・・・・けれどこの路傍では、お話もなりますまい。裏の御門から、そっと、わたくしの屋借やが りしている侍所まで、お越しあそばしませんか」
「でもきょうは、何やら御邸内に、貴信紳の御車がおびただしゅう見ゆるではないか」
「されば、今日のみではございませぬ。このところ、内裏だいり の御秘事について、しばしば、お見え遊ばす方たちが、ただ今も、右大臣家とひそやかに、お話中なのでごじます。けれど、わたくしの屋借りしている所とは、遠く離れておりますゆえ、お気遣いにはおよびませぬ」
かれは、師を伴って、ほう 一町以上もある長い築土を、いそいそと、裏門へまわって行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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