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〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/20 (月) い ず ち 昔 の 人 行 き に け ん (三)

西行は、急に、西住と会いたくなった。
会って、子弟としてでばく、ただの人間同士として、
(おもと を叱った別れたが、なんぞ知らん、自分もお許以上、愚かな迷いを持っていた)
と、正直に、何もかも話してしまいたい気持だった。
(めったには、自分は修行したなどと、まん じてはならない。二十年以上も山林に住み、一切俗念を断ったと思うなどが、そもそも誤りであった。人間の性根しょうこん 、本来の煩悩ぼんのう が、そんな修行の程度や意識で駆逐出来るもものではない。今夜はそれを学んだ・・・・)
西住に会ったら、そんなことも語ってみたい。
西住はどうしたろう。どこで自分を待つつもりで、あんな口約束を言ったのか。
そこで、思い出されるのは、大炊おおい 御門みかど の右大臣家 (徳大寺公能きみよし ) である。
西行には、旧主筋にあたりお方であり、かたがた、徳大寺家の侍のうちには、西住の旧友も二、三がいる。おそらく、そこではあるまいか。
「そうだ・・・・。久しぶりに右大臣家のご機嫌をも伺うて、またかつて、さしあげておいた自分の手紙を、どう御覧くだすったか、近ごろの御心境をも、うかがってみよう」
彼は、その日、旧主の徳大寺公能を訪ねてみる心になって、急に、ゆうね泊った東山の双林寺から大炊御門へ出かけて行った。
右大臣公能は、かつては、和歌にも多少心を寄せていたので、その詠草に西行が添削てんさく を加えては、吉野の草庵から、幾度か、送り返していたことがある。
が、保元平時の世情とともに、公能の歌も、ふっと、絶えてしまったので、西行は、ある時、長い手紙を書いて、切に、公能へ出家をすすめた。危険なる名利や権勢の位置をなげうって、和歌の道に入り給えとすすめたのである。
けれど、返書はなかった。西行も、それきり幾年もごぶさたになっている。
「はて、あいにくな。・・・・きょうはなんぞお取り込みがあると見える」
彼は、その門前に立って、ふと、当惑顔をした。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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