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〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/18 (土) い ず ち 昔 の 人 行 き に け ん (一)

都に来てからも、彼は多くに日を、洛外らくがい に送っていた。
ある日は嵯峨さが に、ある日は高尾に。
そして秋の一日、小倉山おぐらやま のふもとに居ると聞いた、昔の歌の友を、訪ねなどした。
むかし賢門院の女房であった中納言ちゅうなごんつぼね は、女院の き後、尼になって、ただ一人小倉山の草庵そうあん に住んでいた。

草ふかく茂りあひて、行きかふ道も絶え、尾花、くず花の露しげく、軒もまがきも秋の月すみ渡り、まへは野辺、つまは山路なれば、虫の音うぁれに、哀猿あいゑん の声、はぎ のうは風、まくら にかよひ、松のあらし、ねやに訪れて、心すごき住家にはべ り。
さて、かのつぼね に対面申したりし・・・・。

彼自身の筆になる “撰集抄せんじゅうしょう ” のうちにもこう見えるほど、そこは人里を離れたさび しい所で 「よくも女人ひとりで、こんな山に」 と、彼すら驚くほどであった。
それだけに、彼女は、西行の訪れを喜んで、ともども、なつかしさに眼をうるませた。
し方の思い出、世の変遷、かの友、かの君の消息など、語り尽きない夜であった。
そして、話の果ては、
「ともあれ、わたくしたちは、御仏の道を歩いておるお蔭で、貧しくても、こころ静かに、今宵もこうして無事を見合うておられます。無数の苦患くげん のたましいをちまたに見るにつけ、ありがたいことではありまする」
と、なおなお道心を誓うことに尽きていた。
局の言葉によれば、当時、待賢門院のうちに、けん を競うていた美しい人びとも、今はほとんど、その行方すら知れないとある。
わずかに、堀川ノ局、兵衛ひょうえ ノ局、そつ ノ局などの消息が分かっているだけで、その中では、師ノ局が、時めく六波羅の義弟おとと 、時忠というお人に嫁いでいるのが、まれな御出世であるぐらいなものですとも言う。
讃岐へ流された新院の君のことやら、近ごろでは、源氏の為義につづいて、義朝一族の悲惨なる末路だの、また信西入道や信頼のぶより最期さいご だの、つい話が、きのうの戦乱にわたると、二人の胸が痛み、夜風にはだ もそそけ立って来て、
「もう、やめましょう。嘆いても、わたくしたちには、なんの力もない・・・・。ただ一念御仏に願いをかけるしかありません」
と、ひさし の月を仰いで、いい合わせたように合掌した。そして、八重葎やえむぐら に宿る露よりもはかな い人間の命を ── 自分もその一粒にすぎない身を ── そっと い抱くように、愛しみ合った。
中納言ノ局に会ってから数日の後である。
彼は、ゆくりもなく、二十年前に、自分だ住んでいた町の小路こうじ を、何気なく通りかけた。
「おお、このあたりよ。・・・・我が家の跡は」
彼は、憮然ぶぜん として、灯も見えない辺りの宵を見まわした。
保元の時か、つい去年の兵火に焼き払われたものか、彼の居た家ばかりでなく、付近の屋敷も、跡形はなく、秋草の乱れあっている中に、瓦礫がれき と、小溝こみぞ の流れが、残っているだけであった。

これや見し 昔住みけむ 跡ならむ  よもぎ が露に 月のかかれる
古里は 見し世にもなく あせにけり  いづち昔の 人行きにけん
心の底からおのずとかな で鳴る小曲のように、彼は幾首かの歌を んだ。作る気もなく口誦くちず さまれた。
ありのままな、そして極めて自然な 「世の慣 ──」 といえるに過ぎない世間の一小景が、ここにもあったかと、彼は見ていた。
けれど。── やがて黙々と秋の夜の町を、どこかへ、宿を求めて歩いて行く彼の影には、どこやらに、秋風に吹きけず られたような旅の せが、目についた。
  “・・・・いづち昔の人に行きけん”
彼の胸には、かずかずの知人が思い出されたいたに違いない。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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