琵琶湖を渡す便船は、湖心へ出ていた。 比叡の峰々が迫ってくる。都の空はもう近い。 「都で待つとは言っていたが、西住は、都に寄る辺
もない自分を、どこで待ち合わすつもりであろうか?」 船の上では、去年の暮、ここの野洲やす
川尻かわじり から東近江へ落ちて行った義朝親子やら落武者のたれかれなどのうわさが、一とき、乗り合い客の間に、にぎやかな話題になっていた。 いたる所で聞く話である。西行は、うつらうつら、居眠りかけた。 さきから、彼の姿を、しげしげながめていた旅人がある。西行がふと面を上げたしおに、微笑を見せて、 「また、お目にかかりましたな」 と馴々なれなれ
しく話しかけた。 「はて? どなたでしたかの」 「陸奥みちのく
の平泉でお会いいたした仏師の音阿弥おとあみ
でございますよ」 「おう、なるほど、中尊寺ちゅうそんじ
でのう・・・・あなた方も、都へお帰りか」 「は。まだまだ平泉の仕事は、幾年にもわたるほど残っておりますが、にわかに、六波羅の池ノ禅尼様の御用がございまして」 「それはそれは。はるかな道程みちのり
を、往復もたいへんでしょうに」 「されば、あなた様のように、心まかせに歩くなら、旅も楽しめしょうが、何しろ、平泉にも都にも御用を持って、そのうえ、この同勢で日数ひかず
ばかり急ぐ旅では・・・・」 と、音阿弥は、まわりの連れを見まわして笑った。 なるほど、大勢連れていた。造仏師の弟子たちばかりでなく、漆師うるしし
、木地師きじし 、截金師きりがねし
なども、同勢の中に交ま じっているらしい。この便船の半分は、彼の連れで埋まっていると見てもいいほどである。 すると、音阿弥と顔を寄せ合って、何か、ささやいていた中年の男が、また、 「あなた様が、西行様でいらっしゃいましたjか、てまえも、衣川ころもがわ
のお舘で、ちらと、お見かけしたことがございます。── 秀衡ひでひら
様には何かと御愛顧をうけております者で」 と、如才ない物腰であいさつをしたうえ、べつに、問いもしないのに、 「てまえは、金売かねう
り商人あきゆうど の吉次と申して、陸奥みちのく
の砂金を都へ出しては、都の品々や、太宰だざい
ノ市いち の唐物からもの
などを、年に幾度となく、あちらへお送りしております。・・・・どうぞまた、平泉の方へ行脚のせつには、てまえの家をもお訪たず
ねくださいまし」 造仏師はともかく、金売り商人とは余りにも縁の遠い西行である。ただうなずいているほかはない。 ひそかに思うに、秀衡の夫人の実家方さとかた
たる藤原基成の家と自分の家とは、以前にさかのぼれば、同族の関係にあたるので、衣川の舘たち
かどこかで、この金売り商人は、そのことを小耳にはさんでいたにちがいない。 「おかしな世辞に会うものかな」 と、西行は苦笑を禁じ得なかった。 船は、滋賀しが
の浦に着く。 人びとはどやどやと降り始めた。 仏師と金売り商人の同勢は、なお先に待っていた仲間を加え、数頭の馬の背へ、荷を積んで、さながら遠路を越えて来た商隊の都入りを思わすような列をそろえ、やがて、逢坂おうさか
越えへかかって行った。 別れ際ぎわ
にも、あいそのよい金売り商人の吉次は、 「いかがです。馬の背もごずまうが、今夜は、てまえどもの宿でお休みなされては」 と、すすめたりした。けれど西行は、かろく好意を謝して、道も、一人別な方へとって別れた。 |