西行は、面の血を、ぬぐいながら座り直した。 「西住、おまえは、本気でそんなに怒っているのか」 「これが無念でなくてなんとしましょう」 「ああ、おまえはまだ所詮
、沙門に入る心のしたくすら出来ていない。── 憶おぼ
えているかの、むかし、安楽寿院あんらくじゅいん
の御幸みゆき に供奉ぐぶ
のおり、おまえを、待賢門院への、お歌使いにやったことがある。するとその帰かえ
り途みち 、おまえは、羅生門を守る源氏の郎党と大喧嘩おおげんか
を引き起こし、六条の牢ろう へ投げ込まれたであろうが。・・・・それと聞いて、わしは鳥羽から夜中を急ぎ、六条為義の門をたたいて、危うくも、おまえの身をもらいうけて帰って来たことがあった。そんなこともあったのう、西住・・・・」 「・・・・はい」 「あのころの、わが家の郎党源五兵衛と、今日の沙門西住と、いったい、どれほど、違って来たのか。少しでも、成長して来たと思うか」 お言葉ですが、たとえ、いつであろうと、良民を脅おど
して世を押し通ろうとする非道な人間を見ては、わたくしの性分として許せません。またわたくしは何よりも人の辱はずかし
めには耐えられない。性来、天地に恥のないことを誇りにしている人間ですから」 「そういう口応くちごた
えが出るうちは、とてもおまえはわしの同行どうぎょう
ではない。一つ旅はしても、一つ道を歩んでいる者ではないのだ。西住、おまえとは、ここで別れるぞ」 「えっ、どうしてです」 「おまえは、もうしばらく、おまえの好む道を歩いて来るがいい」 「では、破門だと仰っしゃるのですか」 「何を言う。西行に、門も垣かき
もあろうか。── わしの願いはいつも言う通り、生命いのち
のある限りを、楽しみたい。── その楽しみを尽くすには、名聞みょうもん
や争気そうき を捨て、自然の野にただ歌の道を守って行こう。仏の宝土にのみ一切のよろこびを求めよう。──
それが出家の誓いであった。── その西行がまた、破門の入門のという規矩きく
を持ってよいものか。おまえはまだこの西行の何一つ分かってはくれないらしい」 「いえ、愚鈍なわたくしではありますが、わたくしとて、師の御生涯の道を、あとからお慕い申している人間ですから、皆目かいもく
、師のお心が分からぬ者とは思いませぬ」 「いやいやそれが半解はんわか
りというものよ。おまえは、出家遁世しゅっけとんせい
ということを、世の人なみにしか分かっておるまい。世人のそれは、世捨て人をさすが、西行の出家は、現世への執着なのだよ。この生命を、どうしたらより充実させて、楽しく、長く、真実への悔いもなく行けるだろうか。そう生きたい、人間と生まれたからには、そう生きてゆきたい
── という願いにほかならないのだよ。・・・・そこの根底こんてい
からして、おまえの分かっているものとはだいぶ違う」 「いえ、違いません。わたくしとても・・・・」 「ではなぜ、ややもすると、怒いか
りをなして、辱はじ だの無念だのと、泣き吠ほ
えるのか。出家沙門を、世捨て人の業わざ
と思えばこそ、出家が厭いと わしくなり、法衣が無念な物に思えて、泣かれもするのであろう。そんな堪忍は、似非えせ
の堪忍というものじゃ、むしろ、数珠を切って、ありのままな俗体になった方がよい」 そういう西行にも、今なお、言い出すと、どこか肯き
かないふうがある。 西住もやがては、首を垂れて詫わ
び入ったが、西行は、許さなかった。どうしても、帰れと言って、きかなかった。 西住は、ついに、ぜひなく、 「では、仰せに従います。けれど師の御坊が、陸奥みちのく
を巡って、京へ上られる秋のころに、わたくしも都に出て、お待ち合わせいたしましょう。それまでの間に、今日のお言葉を、噛か
みしめておきまする。いえ、頭のさきの考え方でなく、身をもって、もっともっと修行を積んでお目にかかります」 と答えて、悄々しおしお
と、もとの二見ふたみ の庵へ、帰って行ったのである。 二見には、もう一人の弟子、頓阿とんあ
がいる。 ── 委細を、頓阿に話して、頓阿と二人で、あれこれ、議論し合ったことだろう。西行には、彼のそんな姿まで、想像された。 西行は、西住と別れた後も、彼の後ろ姿が、おりにふれ思い出された。 ──
二十年前、家をも妻子をも捨てて出た彼であったが、西住とは、その妻子よりも長い間を一つに暮して来た。そして、そこにはやはり子弟の恩愛おんあい
が生じ、恩愛のためのわずらいが起こった。西住が自分に仕える気持には、依然今も、昔のまま主従関係の道義に似たものが根底にある。彼自身、心にきびしい規矩をもち、かりそめにも、奉公人の真心をゆるがせにしないのだ。それは、人と人との制度の中では尊いものに違いない。けれど、西行には、無用である。その忠勤は、仏へこそ励むべきものだ。また、それでは、いつまでたっても、自由であるべきはずの彼の生命が、従属的な習性から抜け切れないし、彼のためには、大きな道心のさまたげにもなる。 そう、日ごろにも考えていたので、西行はその日、
「慈悲ぞ」 と思って、天龍川を境に、西住を追い返してしまったのであった。 |