西行が動かないわけは、彼らへ構えているのではなく、そばにいた西住の腕くびを固く握っておさえつけているためであった。 今でこそ、自分とともに、破
れ笠がさ 一つの沙門しゃもん
となっているが、なおこの男には、咬か
みつくと、猛獣に返る以前の爪つめ
が遺のこ っている。法衣ころも
の下には、むかし自分の家に武者奉公していたころの郎党源五兵衛の血がなくなってはいない。── それは西行自身にすらまったく失くなっているとはいえないが ──
未熟な若年中に身につけたものは、そう一朝一夕で?脱せんだつ
出来るものではないことを、この二十年の間に西行も知りぬいて来たことである。 だからおりおり、西住にもいってある。 「恥はじ
を受けたときは、道心どうしん
の堅固か否かを、仏陀ぶつだ に試されていると思え」
と。 そしてまた。 「そういう時は、念仏を唱えていると、心がしずもる。あとで涙が出たら、自然を見つめて、歌を詠もうとするがよい」 とも話してある。 けれど、話しているときの話しはよくわかるが、実際に、人の中で、いろいろな場合にぶつかると、西住のこめかみは、ややもすると、太い青すじを現して、郎党源五兵衛の眼光が眼の底から出るのであった。 今も。 彼の持ち前のものが、わなわなと、西行の手にひびいてくるので、西行は、
「ここぞ。ここが修行ぞ」 と、なおさら自分を静かに示して見せていたのである。ところが地侍たちの方では、かえってその冷静を面つら
憎しと見たものか、 「こいつ、耳はないのか」 と、いきなり左右から西行の襟えり
がみをつるし上げた。そして力まかせに、ふなべりから岸へ突き飛ばしたのであった。 西行は、石に頭を打ったとみえ、 「うん・・・・」 と、低くうめいた。眼のふちをタラタラ血しおが流れた。しかしその間も、うつ伏したまま、西住の名を、何度も呼んだ。 西住は、心ならずも、地侍どもを見のがして、師のそばへ駈け寄っていた。 そのまに、船は、彼らの嘲笑ちょうしょう
を乗せて、岸を離れてしまったのである。西住が口惜しがったことはいうまでもない。無念さに身をふるわせて、 「むかしは、院の北面ほくめん
に、佐藤義清ありともいわれたお方が、今日のお姿は、なんたることでしょう。こんなばかげた非道にも、犬のように尾を垂れて、忍ばねばならないほどなら、出家などはしないが増しです。いったい、出家の目的は、地獄をのがれるためではなかったのですか。浄土の安住を求めるという遁世とんせ
が、これではまるで、亡者の苦患くげん
ではありませんか。もうもう、わたくしは出家がいやになりました。出家の身でさえなかったら、今のような輩やから
を、おめおめ大手を振って歩かせてはおきますまいに」 と、果ては、声をあげて、泣き出した。 |