“乳子らを守り育てよ” また。 “いのちあだに失
せ給ふなどのこと、ゆめ、あるまじう祈られ候ふ” 「・・・・・」 金王丸は同じ文字のうえを、何十ぺんとなく、涙をこすっては見、嘆息しは読み、やがて突然、仔牛がほえるように泣き声をあげ始めた。 「も、申しようもない、不所存ないたしました。まったく、わたくしの、あ、浅慮あさはか
な心得ちがい。・・・・お、おゆるしください」 額ひたい
を床にすりつけて、なお泣きじゃくりながら、言うのである。 「先ごろ、洛外のさる所で、文覚とよぶ僧侶そうりょ
から嘲わら われたことばが、今、思い出されました。弱い女性にょしょう
のあなたよりも、はるかに、思慮も覚悟もいたらぬ、愚かな自分であることを、いま身に知って、余りにも悲しゅうございまする」 自分の嗚咽おえつ
に、しばらく、身の面おもて も沈めている
──。 「・・・・もし盲目な刃が、あなたを刺し参らせていたら、わたくしは、文覚以上、一生を真っ暗なものにしてしまったでしょう。・・・・ ああ危うかった。眼がさめて、今さら、おのが短慮の姿に、身ぶるいが出て来ます。このうえは、生涯の道を踏み直し、ひたすら、あなたの影身かげみ
に添うて、よそながら、お力添えをして参ります。亡き殿のお筆に見えるとおり、あだには死なず、生き抜いてゆくことにいたしまする」 それからは、彼は、こうも言った。 義朝の最後の書状は、ぜひ、東国へ送って、心ある源氏の有縁うえん
に見せておきたい。また、三通のお文ふみ
は、それぞれ、時を待って、自分の手から和子君たちへお渡し申し上げる。── で、将来に使命を持って、生き闘うためにも、この一束そく
の書状は、ぜひ自分に預けて欲しいという願いであった。 もとより常盤がそれを拒む理由はなかった。彼が、彼女のせつない生き方を、理解してくれただけでもうれしかった。 「・・・・では」 金王丸は、すぐ起た
ちかけた。 生命のもち方に、正しく眼ざめて、自分が見直されたとき、彼は、片時も、醜い姿を、ここに置いていられない気がして来た。ひとたび、何地いずち
へかへ去って、心も姿も、新しく持ちかえたうえ、もっと落ち着いた気持で常盤に詫わ
びたいと思った。 常盤はさきに立って、妻戸をあけ、外をのぞいたが、また閉めた。 「築土の外には、赤々と、垣守かきもり
の兵の篝かが りが見えます。夜明けを待って出た方がよいのではありませんか」 「いえ、お案じには及びませぬ。大言を吐くようですが、金王丸には、烏天狗からすてんぐ
にも似かようほどな技わざ があります。こうして参れば、よも、見破られは致しません」 彼は、常盤の眼の前で偽装した。といっても、ふところに畳み入れていた幅広な黒布をひろげて、顔をくるみ、その余りを、翼つばさ
のように、肩から半身へかけて包んだだけのことでしかない。 そして、ひらと、妻戸の外の勾欄こうらん
から、坪のやみへ、走り去ると、もうやみ夜の烏のいうに、見えなくなった。 と、思ううち。 西側の築土のみねに、黒い人影らしいものが立ち、こなたの灯影にむかって、なにかもう一度、名残を告げているふうでもあった。 常盤も、紙燭の手を、少しあげて、それにこたえた。
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