小館
とはいえ池もあり森もあった。畑や流れすら、築土ついじ
の内なのである。もし曲者が、よく忍耐と機智をもてば、それらの遮蔽物しゃへいぶつ
を利用して、幾日でも潜むのに不便は感じまい。 壬生畷みぶなわて
の大藪だの雑木林が、築土に接近している点も、ここを遠巻きにしている討手の視野をさまたげていた。 「詰めろ、詰めろ、築土のそばまで、寄り合え」 いわゆる
“鉄桶てつとう の囲い” が徐々に縮められて来た。曲者はもう桶おけ
の中にいる魚にひとしい。清盛の命令通り、あとは手づかみにするだけのものである。 やがて、数名の部将に、朱鼻あけはな
も加わって、小館の門を入って行った。 外へは水の漏れる惧おそ
れもない。あとは邸内を探すだけのもの。御邸内へ人数を入れますから、お立ち騒ぎなさらぬように」 こう断ことわ
って、ほどなく、次の行動が起こされた。 それは約半数に近い兵を、築土の内へ入れ、ここの隅々すみずみ
から、夕やみの木蔭や竹むらをたたいて、曲者を、刈り出すことであった。 屋おく
の床下へも、大勢、這い込んだし、屋根へまで兵が登った。井をのぞいたり、梢を仰ぐ者もいた。しかし、なんとしたことか、結果は一切、徒労に帰した。曲者がいたらしい痕跡こんせき
すらもなかったのだ。 「何の事ぞ」 「物々ものもの
しくも、人騒がせな」 と、当然な張り合い抜けから、騒々しい惰気に終わってしまった。 もう局限された築土内ついじうち
である。これ以上は探しようもない。しかし朱鼻は、なお躍起やっき
であった。大げさに訴え出て、これほどな人数を動かした発頭人ほっとうにん
としては、当然な自責でもあったろう。けれど、彼はその責めを、蓬子よもぎこ
に転嫁して、 「どこからも、金王丸は出て来ないじゃないか。いったい、おまえは何を見て、あんなに騒ぎ立てたのだ。ばかめ。人騒がせもほどにしろ」 と、まるで彼女のせいみたいに、下屋しもや
の部屋の一つへ向かって、どなっていた。 「おいおい鼻どの。そんな乙女を叱ってみても、仕方があるまい。とにかく、人数は引き揚げよう。兵はみな、まだ夕方の糧かて
も食べていないのだし・・・・」 討手の部将は不愉快そうに、たしなめた。そして兵二十人ほど残して、築土ついじ
の裏表に配し、やがてあとの人数はすべて引き払った。 朱鼻も考えた。この始末を、清盛へ報告しておかなければということだ。── で、蓬子よもぎこ
に執しつ こく念を押していた。 「おまえから、常盤どのへ、お伝えしておくがよい。さだめし、今日の騒ぎには、お驚きなされただろうが、もう裏表に、守りの武士も立たせてあるし、詮議せんぎ
の結果、付近に怪しい者の潜んでいる心配も除かれましたと。・・・・いいかね、蓬子」 「はい、申し上げておきます」 「わしはこれから六波羅様まで、ちょっと、お伺いせねばならぬ」 「どうぞ、お気をつけて」 「いま、わしの言った以外は、常盤どのにも、よけいなおしゃべりは、せぬがよいぞ」 「わたくしは、そんなに、おしゃべりではないつもりです。けれど、今度みたいな場合は、だれだって、黙っていられないでしょう」 「それそれ、その通り、すぐ、ぴいちく、囀さえず
るおまえだ」 「ではもう何も言いません。何が起こっても、知りませんから」 「勝手にしろ。どうせおまえなどは、何の役にも立つはずもない。今夜からは、垣守かきもり
の武者が立つから、一切、やきもきせんでもよいのだ。ただくれぐれ、街まち
へ出て、よけいなおしゃべりは致すな。いや、致しては相ならんぞ」 「アアそうですか」 蓬子は、横を向いて、つんと、ふくれた。 |