〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/14 (火) つる (一)

参議清盛は、前夜、宮中に泊っていた。
極く少数な、上卿しょうけい だけの密議があって、明け方近く、やっとおのおの、内裏だいり のあちこちで、ほんの仮寝をむすんだに過ぎなかった。
問題は、主上と太皇太后たいこうたいごう との、あるむずかしい内秘にかかわり、すでに、二月ごろから、幾たびとなく、熟議がかさねられていたものである。しかし、どうしても、一致した結論が出し得ないほど、それは、至難このうえもない ── そしてどうなるかは、べつとして、決定するまでは、極秘としておきたいことでもあった。
けれど、深宮に住む女性やつかびと には、湖魚のような感覚があって、どんな秘事でも、すぐ知ってしまう。
こんどのことも、もうたれとはなく、
「主上は、恋をしていらしゃる」
と、ささやかれていた。
天皇の恋。
それはかくべつ、なんのふしぎでもない。
けれど、二条天皇がふかくおも いこまれたおん方というのは、かつての近衛天皇の皇后 ── いまは後宮におられる太皇太后さまの多子であるということに、たれも、驚かないでは居られなかった。
天皇は、ことし御十八。
太皇太后は、二十三であった。それにしても、
「お年こそは・・・・お年こそなお・・・・お近くはあれ・・・・?」
と、人びとはどうしても、その恋に、畸形きけい なものを感じて、心からな祝福をもって、ささやけなかった。── そして、夜の大殿籠おおとのごも りに、声沈ませて密議している上卿たちの灯かげを遠く見るにつけ、その至難な問題のなりゆきに、ともども、胸を閉じられてしまうのであった。
「どうにもなるまい、臣下が、どうのこうのと、夜を明かして、首をうな垂れ合うてみたところで、問題が恋だ、しかも天子の恋」
清盛は、殿廊の端に出て、不健康な夜気を、肺から吐き出すように、朝の にむかって、ひとりごと をもらしていた。
何しろ、二条天皇は、去年こぞ の合戦中、六波羅の私邸に、お守りして、朝夕、咫尺しせき していた大君である。
かくべつな関係と、かくべつな君臣の情がある。
「・・・・あのとき、白粥しらがゆわん に、おん涙をこぼされた思いも、もうお忘れあそばしたものとみえる。天皇らしい御性格といえばいえもしようか。── 制約とか、拘束とかに、なんらのお心もさまた げられぬお育ちが、恋のかき にも、御意のまま出て、懸想けそうつる を伸ばされたよな。・・・・まあ、そんなものか。垣守かきもり どもには、やっかいな、蔓の い方ではあるが」
彼は彼らしい解釈をとっていた。
密議には、つらなっても、他の上卿たちのように、しんから当惑はしていない。つきあいに、多少、屈託顔はして見せても、はら には、すでに、ある決定を見とおしていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next