〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/14 (火)  すずめ (三)

名は、隠しても、朱鼻には、もう分かっていた。
「いや、読めた。小冠者は、金王丸に違いない。以前、義朝の侍童をしていて、悪源太とともに、都に隠れていたやつだ」
「あら、分かりましたか」
「分からいで、どうするものか。で、・・・・その文覚のふみ は、今朝、まだあったか、失くなっていたか」
「失くなってました」
「あっ。ではやはり・・・・」
「けれど、また、別な紙切れが、結い付けてありました。こんなことを書いて」
と、蓬子は、それを彼に示し、彼の眼もとを見まもった。
文字が何を意味するものか、これからの不安をどうしたものか。思い余って、起き抜けに、それを相談しに来たものだった。
朱鼻は、むずかしい顔つくで、何度もそれを読み返した。竹の露に、墨のあとも、にじ んで、判読になやむほど文字もくずれている ──
  元来グワンライ  ソウ ノ竹
  菩提ボダイ ノ月ニカガ マズ
  タダ 、 清節セイセツ ノ風ヲヨロコ
   ヨ一カン初志シヨシ
「どういう意味なんでしょう、それは」
「文覚のふみ を見て、文覚に言い返しているつもりだろう」
「じゃあ、文覚さんのお禁厭まじない は」
「なんの、あんな野良僧の文などが、 くものか。・・・・これで見れば、かえって、 れ者の殺意をケシかけたような結果になっている」
「ま、こわ い・・・・。どうしたらいいでしょう朱鼻さん、ねえ、お鼻さん」
「なに、なんと言ったのだ今」
「いえ、あの、伴卜さま」
「いったい、おまえは少し、ちょこまかし過ぎる。文覚などと親しくしたりするからこんなことになるのだ。少し りるがいい」
「ですけど、文覚さんが、教えてくだすったからこそ、常磐さまのお命をうかがっているおそ ろしい者のすがたが、はっきり分かってきたんでしょう。もしわたくしが」
「よくしゃべるな、おまえは。おまえの主人思いは、たれも知っているが、しゃべるのは、少し控え目にするがいい」
「心配で心配で、たま らないせいです。こうしているいまも、もう、どうしていいのか分かりません」
「分かるはずがあるものか。すずめ みたいな脳味噌のうみそ で。── まあ、壬生みぶ へ帰って落ち着いていろ。ぴいちく、ぴいちく、騒がずに」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next