蓬子が、きのう、例の麻鳥の家で、小冠者の名のみは人に言うな、という条件のもとに、文覚から教えられたというのは、次のような事
ごとであった。 (小冠者は、源氏の残党で、悪源太追補のときに姿を消した金王丸こんのうまる
にちがいないこと) (金王丸は、いつか、常磐の生命を取ると、悪源太に誓っていたこと) (近ごろ、追補のゆるみに乗じて、常磐の住居をうかがっている。そして時には、坪の内まで身を潜めてみるが、さすが、旧主にあたるお人であり、常磐の起居の様を見ては、つい殺意もにぶろう。しかし、悪源太への誓いもあるので、幽鬼のように、迷っているものに違いない) それらのことを、文覚は、まるで眼で見てでもいるように言って、 (しかし、心配はない。わしの禁厭まじない
を施せば、幽鬼は、きっと退散する) と、一通の手紙を書き、それを細く折って、彼女に、手渡した。そして、 (これを、常磐どのの坪の木か、築土の裏の淋しい垣かき
の袖そで か、どこにてもあれ、人の歩かぬ所の、人目だつ所に、結ゆわ
い付けておかれい) とも、教えた。 なお文覚が言うには、 (そうして、この文ふみ
が、夜のうちに失な くなったら、それきり、常磐どのの生命をうかがう者も、どこかへ、かき消えたと思うて、もう安心したがよい。──
とはいえ、不測ふそく の禍わざわ
いということもあるから、寸前までも、油断はしないように) と、あった。 そんなことから、話が長くなって、きのうは、紙屋川の土橋を渡るまで、文覚に送って来てもらい、そこで彼女は、紀州へ立つ文覚と、当分の間の別れを告げて、帰ったのである。 そして、壬生みぶ
の小館へ帰ると、蓬子は、常磐にも、たれにも黙って、文覚から言われた通りに文覚の手紙を、坪の北にある裏築土うらついじ
の孟宗竹もうそうだけ の下枝へ結いつけておいた。 そこは、下屋しもや
の遣や り水や泉殿の通い水が一つになって、竹林の外へ吐かれてゆくため、築土の下がくり抜いてある。もし、濡れるのさえいとわなけてば、人がはいこめないことはなかった。そして母屋もや
、対たい ノ屋や
からも、ずいぶん離れていて、筍たけのこ
を掘る時でもなければ、めったに、下部しもべ
たちも歩かない竹林でもあった。 「・・・・で、ゆうべは、わたくし、眠りもしませんでした。それが・・・・失な
くなっているやら、まだ、今朝もあるやらと、ひと晩中、そればかり思って」 蓬子は、ここまで、話して来ながら、まだ胸の中には、不安を残し、何か語り足らない顔つきだった。
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