〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/14 (火) 男 性 四 十 夢 多 し (四)

以前から西海方面には、平家の領国が多かった。播磨はりま備後びんご安芸あき肥後ひご 、その他。
忠盛の代からである。
忠盛も、むかし、宋船との交易を、領国の者に奨励したことなどもあるが、それは私経済の規模でしかなかった。
清盛の抱負はまるで違う。彼の夢は、そんな小さなものではない。
「その意味で、筑後家貞の日向土産ひゅうがみやげ は、おれにとって、大きなみつ ぎだったぞ。朱鼻、そちも少し、眼を海外に向けて、大きな商法を考えろ」
「思いがけないお話になりましたなあ。自由に、唐土とうど の文物が輸入出来ますれば、国の大利になり、ひいては、てまえなども、ほんとの大商おおあきな いをすることが出来ましょう。いや、これは、五条の伴卜も、じっとしてはいられなくなりました」
「けれど、それは、宋船の往来を、都近くの港まで寄せねばだめだ。九州の果てでしていたのでは意味がない」
「そうです。従来は唐物からもの せている船とみれば、途中、海賊どもが見のがしません。そのため、都との交易は、まったく、ふさ がれておりました。よい港を開き、内海が安全だと分かれば、招かずとて、宋船は入ってまいりましょう」
「それらの調べを、筑後ちくご にも、日向通ひゅうがみちよし 良にも、いいつけてある。そちも、 がな隙がな、よく研究しておくがよい」
「かしこまりました。男一生の仕事になりそうですな。けれど、・・・・その、男の徒然つれづれ の方も、まれには、おんお眼をお向けください。道の の花と み折ったきりで、供の者に、持たせたままでは、供の者こそ困ってしまいます。いったい、いかがなさるおつもりですか」
「常磐のことか」
「仰せまでもございません」
「そのうちに行く」
「まだ。そのうち ── でございますか」
「じつは、日向ひゅうが がえ りの土産話にも、さまざま、あたまが忙しいが、内裏にも、ちと、むずかしい議が起こっておる。かたがた、ここしばらくは暇はない」
「ではせめて、今日、よそながらお会い申し上げた由だけでも、きみ のお耳へ入れておきましょう」
「不自由はさせてあるまいな」
「もとより、おまかな いは一切、てまえが勤めておりますれば」
「歌など一首、ことづて致したいが、父忠盛に似もせで、清盛には、とんと歌心がない」
「いえ、いつか、御台盤所さまから、お伺いいたしました。殿のお歌を。・・・・はて、なんというお歌であったか?
「よせ、よせ、おれの歌など、思い出すのは。それよりも、やがて五月雨さみだれ も近い、からだに気をつけよと、いうてくれ」
「常磐さまに・・・・で、ございますな」
「いやな男よ。分かりきったことを、なぜ念を押すか」
「失礼いたしました。が、なお念のため、もうひとつ、伺っておきまする。これからは、おりおりに、参上いたしてもよろしゅうございましょうか」
「勝手に来い」 と、いい放したが 「余りに、大面おおづら しては来るな、時子の眼にふれぬように」 と、いい直した。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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