その五条の伴卜は、数日の後、六波羅へ出かけていた。 顔見知りの侍所の者へ、袖
の下をつかって、河原門からそっと入れてもらったらしい。清盛が薔薇園しょうびえん
を逍遥しょうよう する姿を待ち、坪の木蔭に屈かが
まって、 「殿。お目にかかりに参りました」 と、畏おそ
る畏る声をかけた。 清盛は、ちょっと、眼をみはって、 「や。鼻か」 と、立ちどまった。そしてなお、 「大きな蟇ひき
でもあるかと思うたら、鼻ではないか。なぜ近ごろは、その鼻を見せぬのだ。ぶさたなやつめ」 と、しかった。 「これは、意外な、いや心外な、仰せを承るものです」 と、鼻は負けずに抗議した。 「なに心外だと。はははは」 「笑いごとではございません。てまえが、御台盤所みだいばんどころ
さまから、出入停止しゅつにゅうちょうじ
を申しつけられたことは、殿にも御存知でございましょうが」 「それが、なんだと申すのか」 「御勘気をうけた身が、どうして、参られましょう。そも御勘気も、たれゆえですか」 「たわけよ。なんじの勘当などは、何も、六波羅の政令ではない。時子が申し付けたなら、女房門の出入りだけを遠慮すればよいではないか」 「でも、殿の仰せ付けも同じぞと、きびしくおしかりをこうむりましたので」 「いつ、おれがいうた。女とて、言いたいことは、言いたかろうによ。かしこまって、時子の眼にさえ触れなければよかろうが。それを、ひと月あまりも打ち絶えたまま、常磐のその後の消息も、あれきり聞かせに来ぬなどとは、なんたる怠慢ぞ。頼むならぬ腑抜ふぬ
けではある」 「や。まことに、それは不覚。そう御寛大とは、合点がてん
もいたしかねまして」 「日ごろの横着者にも似げないことだ。そして、常磐は無事でいるのか。その後、病いたつき
もせず、つつがなく、暮しているか」 鼻をしかるのは、戯ざ
れ交じりでも、常磐の様子を訊き
く言葉の裡うち には、どこか、真情がこもっていた。 「まず、話もある。あれまで、罷まか
れ」 清盛は後ろに彼を連れて、一亭の内にはいった。 そして、常磐の起居を、つぶさに問うて、せめてみずから慰めているふうである。そうした彼の容子ようす
から察しても、彼が常磐に顔を見せないのは、夜ごと通うにもまさる思いをおさえているに違いない。 その事情も、夫人の時子の監視がうるさいだけではなく、宮中の内秘、政治軍事の多端などが、彼に、寸閑の私生活もゆるさないことが、全部であり、ほんとらしい。 一例をいえば。 老臣、筑後守家貞が、日向ひゅうが
の乱を平定に赴いて、つい数日前に、凱旋がいせん
している。 家貞は、多くの捕虜を拉らつ
して帰って来たが、その主将、日向ひゅうが
太郎たろう 通良みちよし
らを、取り調べた結果、清盛は、非常に大きな啓蒙けいもう
をうけたのである。 それは、彼らの持っている、海外知識であった。 中華大陸との交易こうえき
である。 また、宋文化そうぶんか
のすばらしい魅力でもあった。 清盛は、たちまち、ある一つの 「夢」 にとらわれ出した。架空な幻想ではない。事業である。必ず可能と信じられる構想の芽が生まれていたのである。 (やろう。やらねばならない、この国の物心を富ますために) 想像がふくらむ。 おもしろくて堪らなくなる。 すると、彼は、幾人もの側室の閨ねや
へも、夫人の時子のもとへも、まるで無沙汰になってしまう。 常磐のことすらも、頭の隅に、置いておく程度の女性に過ぎなくなる。 そして、創造欲にふける。事業化の夢に熱中する。その燃焼に、一時、もろもろの色欲像は、忘却されているのであった。 痴情の面もある彼である。情熱にうすい彼ではない。しかし、四十台の自分の中に、彼は、より以上にも自分を捕える別な欲望があることを発見していた。 つまり清盛とは、そういう一つの型の男性であったといえる。 |