汚さ、狭さ、臭さ、牛飼町でも代表的な路地である。何を踏んでも、わんと、蠅
が立つし、蠅の数ほど、子どもらがたくさん目につく。眼クソや、しらくもや、とびひや、何か腫物
をもっていない子はほとんどない。さんばら髪のかみさんと、昼から酔っ払っている男とが、ある一軒では、どたんばたん、屋鳴りの中で、吠
え合い撲 りあっていた。 「たしか、この辺だが」 どの家も、屋根には石を置き並べ、廂
は朽 ち、土壁は竹の骨をあらわしている。穴居の民が地表に出たというに過ぎない生態だ。──
が、ただ一戸、軒端に、簾代りの蓆
を下げ、窓に竹などを植えて、ともかく、箒
のあとを見せている入口があった。 「お、ここよ。麻鳥、いるか」 文覚は、蓆
を上げて、中をのぞいた。 ひとりの男が、窓の下に、空箱を机として、書物を読んでいた。 振り向いて、文覚と顔を見合わせると、 「あ。おいでなさいまし」
と、向き直ったが、文覚の後ろに立った蓬子
の姿を見て、 「おや?」 と、麻鳥は、眼をまろくした。 二人は、柳ノ水の焼け跡以来、今、初めて会ったのだ。戦の焦土で知り合った仲には、忘れ難いものが多い。世間は暗く、人情は酷薄だった。その中でたまたま、扶
けあい、慰めあった人の思い出は、路傍のこととはいえ、生涯の印象になっている。 「まあ、麻鳥さんは、こんな所に、住んでいたのですか」 「おう、蓬
さんか。── 大きくなったなあ、見ちがえるほど」 「麻鳥さんだって、少し、大人
になったでしょ」 「そうかしら。変ったかい」 「そんなに変りもしないけれど・・・・もう、御所の水守
は、おやめになってしまったの」 「いえ、死ぬまで、水守でいる心ではおりますけれど」 「そうそう、柳ノ水の御所の跡には、毎晩、妖
しい人声がしたり、崇徳様のお姿が木の間に見えたりするんですってね。── あんなふうに、讃岐
へ流されておしまいになったので、きっと、新院のお怨
みが残っているのだろうって、市の人は恐がっています」 「蓬さんの仕えている、常磐
御前 のお家は、あのときには、焼けなかったが、こんどの合戦では、焼けたでしょう」 「え、・・・・焼けて、戦にも、追われて」 「ずいぶん、苦労をなされたろうに」 「わたくしは、それほどでもなかったけれど、常盤さまや、お小さい和子様たちが」 「いろんなうわさを、牛飼町でもしていましたよ。この町には、羽振りをきかしている巨椋
の富蔵という牛飼親方もいるものだから」 「あら、あの鬼を、麻鳥さんも知っているんですか」 彼女は、富蔵ち聞くと、話だけでもすぐ、眼いろを変えた。 それはともかく、二人は、会ったとたんに、二人だけになるきって、文覚のいるのも、忘れ果てている。 文覚は、せんすべなさに、麻鳥が読みかけていた書物を手に取って、べつ者のように、ひとりでそれをめくり返していた。
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