文覚は今もなお、常住
の寺がない。 時には、熊野にい、那智に籠
り、宗派の別なく諸山を歩き、またひょっこり、都へ出て来るなど、天涯無住、そのものである。 ひところは、栂
ノ尾 の山中に、だいぶ落ち着いているとも聞こえたが、信西入道の舘へ、例の、政治上の献言で、怒鳴り込んだ前後から、そこへは帰っていないらしい。 信西の追補にも、捕まらなかった。 三年後、信西が死ぬと、また現れた。 二度の戦乱で、彼一個への、追補令などは、とうに反古
になっている。 しかし、彼自身は何も、それゆえに都へ帰ったわけではない。 (信西の政治的手腕に大いに習
ぶところのあった清盛だ。その清盛が、源氏を一掃して、二条天皇の新政府を、六波羅の私邸から誕生させ、これからどんな振舞いをなすか) 文覚は、それを “見もの”
と思っている。 (── もし、清盛もまた、信西入道のようならば、捨ておけぬ。信西はなお武力を持たなかった者だが、彼は平家という武族の一門を統帥し、古今にない覇力
を持つにいたっている。・・・・あの、スバ目の小伜
、伊勢ノ平太が) 清盛の今日
あることが、彼には、何か、偶然な奇現象か、不合理に見えてならないのだ。 「あの男が?」 と、ついつぶやかれる。 むかし、勧学院に在学中は、平太といえば、学生仲間でも鈍重鈍才
の代名詞みたいなものだった。しかも、後輩である。 鈍々たる後輩として文覚は彼を見馴れていた。よく塩小路あたりの盛り場を、寒々
しいふところ手で、うろついている彼を拉
しては、酒を飲ませて、励ましたり、遊女宿
へ誘ったりしたものだった。彼に初めて、遊女
の味を教えたのも、たしか、自分であったが、などと追憶される。 (その平太が、思い上がったら笑止千万だ。いや、傍観してはおられまい) 彼は、将来の太平を、いや清盛を、監視する権利があるように、自分を思惟した。 しかし、戦後の都では、案外、六波羅の評判はよい。 将来はとにかく、まるで別世界のものだった雲上政治の仲間へ、地下人
階級 が伸
し上がったというだけでも彼らは愉快で何か新鮮を感じるのだろう。また、政治が身近になったかのような気がするにちがいない。 (まだまだ、六波羅景気に歓
ぶなど、気が早いぞ) 七条の森の古社
をねぐらとして、文覚は日々、都の風聞に触れながら、単純な庶民の表情を見て、ひとり嘯
いていたのだった。 |