〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/10 (金) いし きり じん せい (三)

十数日の後。
さしもの悪源太も、ついには、難波次郎の手勢に捕われた。
場所は、逢坂山おうさかやま に近い関ノ明神の神前、不敵にも、愛刀石切いしきり を抱いて、昼寝したいたのを、告げた者があって、まるで猪狩ししが りのように、追い詰められたものだった。
しかし、それとて、やすやすと、縄目なわめ にかかったわけではない。石切の太刀をふるい、大勢を切ってなわり、難波次郎に迫って、彼の右のひじ に、一太刀かすめたほどだったとある。
なお、六波羅にひかれても、
いくさ には敗れたが、鎌倉の悪源太義平は、地べたや、素むしろにすえられて、こうべ を垂れる者ではない。休息には、侍所を与えよ」
えて、礼を執らない以上、がん として、清盛の前へ足を運ばなかったという。
さらに、清盛の前でも、
「去年の合戦に先だち、右衛門督信頼卿が、もし、わたくしのすすめを れて、御辺ごへん が熊野路から引っ返す途中を、あの時、手兵三千ほどで、迎え撃つ策が実現されていたら、御辺と、わたくしの父義朝とは、今日まさに、逆な運命になっていたろうと思います」
と、いい澄ました。
いや、次の一語は、もっと痛烈であった。
「・・・・けれど、かりに、わたくしの父義朝が、今日の勝者となっても、おそらく、あなたの愛する女性などを、横奪よこど りにはしなかったでしょう」
侍座じざ の六波羅武者たちは、義平の終わりの一言に、みな、清盛の激怒を予想して、はっと顔色を失い、乾いたくちびる をむすび会った。
しかし、清盛のひとみは、じつに静かなものを沈めていた。
どうしたのか、この若者に対し、彼には憎しみが持てないらしかった。兼帯門の雪の日の思い、勝敗は、一歩の運命の微差でしかなかったのにと思い、また、自分も子を持つ親として、しきりに、子の重盛と眼の前に彼とを、思い比べたりしているふうであった。
夕方、その義平へは、特に、侍所さむらいどころ の内で、酒や食事が与えられた。そしてその宵、六条河原につれ出して、斬らせた。
あとで、番の侍たちのうわさでは、義平は、せっかくの土器かわらけ にも、飯のわん にも、手を触れていなかったとある。いぶかしいことと、人びとが死骸しがいあらた めてみたところ、関ノ明神前で行き倒れたはずである。幾日も食べていなかったとみえ、その胃袋は空っぽで、あわれ、二十歳はたち の肉体も、腹に小皺こじわ がよっていたという。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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