〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/09 (木) か ら す 説 法 (四)

「── ですから、頭殿にも、わたくしには。お心を許され、九条院の文使いといえば、いつもわたくしの役でした。常磐どのと、ひそ かに、お逢い遊ばす間の見張りもいたし、幾夜のお供にも、遠侍とおざむらい にひかえて、さざめごと の御様子や、ときには、おん涙にしめる灯など、よそながらおしの びもしたり、数年、相思相愛のおんちぎ りの深さをわたくしは拝見してまいりました。── それだけに、堪えられません。頭殿になり代って、許せぬ憤りがこみあげます。・・・・いかにいくさ の果てとはいえ、そうした常盤どのが、清盛のかいな に抱かれて、いったい、どんな生き心地で、なお生きておられるやと」
「では金王。そちは常磐御前を、刺し参らそうという、覚悟か」
「おそらくは、女性にょしょう 御自身では、お気弱くて、自害もなし得ないのかと思います。源氏の恥さらし。いっそ殺してあげるのが、慈悲だと思いきめました」
「まあ、待て」
と、悪源太はやや、あわてた。
「そちにそんな手出しをされたら、いよいよ、おれが清盛へ近づきにくくなる」
「いえ、ですから、当分、こらえてはいます。景綱屋敷にいては、寄り付けもしませんが、壬生みぶ小舘こやかた なら、忍べもしましょう。あなた様が、清盛をお討ちになったら、わたくしはすぐ女性を御成敗申します。あのままにはおきません」
自分の言葉に自分で激しくして行くのであった。悪源太が清盛を恨むように、彼は、常磐を憎んでやまない。
悪源太にしてみれば、腹こそ違え、常磐は父の側室のひとりである、そし る気にもなれないし、もちろん、手をくだ す意志もない。しかし、金王丸の思い出などを聞かされると、彼もむらむらと真っ暗な感情にくるまれた。亡父ちち の面よごし、源氏の恥、堪えられない不快になる。
「・・・・が、早まるな、金王。とにかく、清盛の方からだ。清盛にむく うてからのことだぞ」
重く語気を沈めた時である。ばさっと、頭の上で、大気をうつ つような響きがして、木の皮屑かわくず みたいなものが、バラバラと顔へこぼれて来た。
「ア。からす か」
大きな鳥影が、三人の眼に映った。
巨木の梢から、社の屋根へ降りかけた烏が、何かに驚いて、また高い梢へ、飛んだのであるらしい。
「・・・・?」
だが、三人とも、なお意外なものを、屋根の上に見出した。
屋根の上に居た異形いぎょう な坊主である。
坊主は、下の者をのぞいて、無精髯ぶしょうひげ の中に、ニヤリと白い歯を見せた。人馴つっこいような、また、人を小ばかにしたような、得態えたい の知れない、そしてなんとも唐突とうとつ な存在に見えた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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