〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/08 (水) か ら す 説 法 (三)

なんの社か、森は乱伐され、社殿は荒れ放題にまかせてある。都はずれの羅生門と同じように、ここも浮浪者たちの巣になっていた一ころがあったらしい。
しかし、それとはかかわりのないように、木々や拝殿の雨樋とよ にまで、藤の花が垂れ、やぶ にも水たまりのまわりにも、山吹の花のむら が、そこらの陰湿を明るくするほど咲いている。
「や。お待たせ申し上げて」
金王丸は、やがて、六郎とともに、姿を見せた。
旧主の礼をとって、地上にぬかずきかけたのである。すると、義平は、
「人が見ると怪しもうぞ。おれも、わぬしも浪人だ。堅々かたがた しい礼儀はよそう。こう並んで、腰かけたがいい」
と、自分が掛けているように、二人へも、そこらの木の切り株を指した。
「金王。その後は何か、耳にしていないか」
「ここしばらく、清盛の身については、何事も分かっていません。・・・・が、常磐御前が、ひそかに、壬生みぶ神泉苑しんせんえん の西へ、住居を移されたことは、御存じですか」
「それは く聞いている。だが、清盛は、まだそこへは一度も牛車くるま らぬそうだ。・・・・おりもあればと、ねろうてはいるが」
「いつぞやの夜に りて、ひたと、用心しているものと思われます。しかし、いつかは」
「そうだ、いつかは」
と、若い二人は、なんにでもすぐ燃えつくそうな眼を山吹の なたへ向けた。── しかしすぐ空虚うつろおちい りやすい危うさを内に感じてか、
「なんとも、毎日が無念です。頭殿こうのとの がいませばと、思わぬ日はなく」
「うむ。・・・・無念よの、亡父ちち のお心を思えば」
と、たがいに、胸をゆすり合った。ともすれば、余りに長閑のどか すぎて、蝶々ちょうちょう のような魂に化しやすい青春の血を、むりに不敵な一念へ ぎ合うのだった。
「ところで、御曹司には、どうお考えになりますか。あの常磐どのを」
「常磐御前か」
「生かしておいていいものdrしょうか」
「いうな、女性にょしょう のことなどは」
「いや、女性なればこそです。あの醜い生きようを、打ち捨ててはおけますまい。いかにとはいえ、清盛のしょう になって、囲われておるなどとは」
「が、そのために、今若、乙若、牛若たちが、助けられてもおる」
「・・・・と、人びとも沙汰さた しますが、常磐どのの御本心が、果たしてそんな犠牲にあったでしょうか。わたくしは、疑います。栄花のため、亡き頭殿こうのとの とのおん仲も、昨日のこととなされて、清盛になびかれたものとしか思われません」
「なぜ、そう解くのか」
「生きておいでになるからです。のめのめと」
「それは無理だ。余りに、むご い批判だ」
「いえ、むりでも、酷くもありません。わたくしは、父の重国とり古く、頭殿こうのとの (義朝) の侍童として、お側に仕えていた身です」
と、そのことだけには、たれよりも自分が熟知している唯一の証人であるように、金王丸はつよくいい続けた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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