「ほんとか、鹿七」 「ほんとですとも、それで、大急ぎに、帰って来たんで」 「ふウ・・・・む」
と、鼻は、大きくうめいてから 「よし、よく報
らせてくれた。ひとつ、わしが確かめに出向いてみよう。おまえ、案内してくれ」 「だが、いま行っても、家にいるかいないか、分かりませんぜ」 「いいわさ、探って来るだけでも」 何を聞き込んだのか、鼻はひどく意気込んで、五条のわが店屋
から出て行った。 花も散りはじめた。もう、桜の萌
え芽 が梢
にほの紅 く、四月も近い風の味である。 「あの横丁ですがね」 七条鍛冶屋
町から、何もない原っぱ一つを隔てた向うに、近ごろ、どんどん建て増されて来た雑色町
がある。 「あそこの横の何軒目だって?」 「五、六軒目ですよ。が、ただ通ってみても、何も外からは分かりませんぜ。垣
もあり、小門もあり、小さくても皆、平家衆といわれる雑色たちの住居ですからね」 「分かっている・・・・」 と、鼻はあごをおさえて、考えこんだ。 今日は、はしなくも、手代の鹿七が、この雑色町で聞いたという耳よりな話というのは、こうである。 雑色長屋の一軒に、志内
六郎という、とるにたらない雑兵が住んでいる。その六郎の所へ、この春先から、小づくりな田舎ざむらいといったような男が、寄食していて、近隣へも、 (丹波
から出て来た六郎の従弟 ですが、なんとか、六波羅どのの端
へ、下部 奉公なと致したいと思い立っておる者です。たとえ、走り下部
にでも結構です。もし口があったら、お世話してください) と、あいさつの口上を言って回ったことがあり、たれも、疑わしい者とも思っていなかった。 ところが、男やもめの六郎に家へ、よく洗濯物
や縫物などに頼まれて行く近所の女房が、ある朝、怪
しからぬ二人の行状を、そこの屋内
に、見るともなく見てしまったというのである。 六郎と、丹波の従弟という小柄な男とが、むしろの上で、飯を食べていた。 それだけなら、なんのことはないが、膳
に向かって、いざ箸 を取るときになると、六郎は、食客
の従弟を、うやうやしく、上座に直し、しかも、食客の方には、お菜
も汁もつけてあるのに、主 の六郎は、菜もなしに、稗飯
だけをボソボソ食べてすましたというのである。 貧しい、雑色暮
しの中では、食物と言えば、隣の匂いにさえ、敏感であった。女は、これを、他人
にささやかずにいられなかった。 「自分が、食べないで、人に食わせる。しかも、食客に食わせるなんて・・・・」 と、世にも不思議なことを見たようにささやきまわった。 鹿七は、これを聞くと、すぐ、主人がちかごろしきりに言っている
「お尋ね者の小男」 を直感した。てっきり、源氏の残党に違いないと思い、それとなく、のぞき見して、その面
がまえといい、眼光といい、かの義朝の子悪源太にまぎれない者 ── と見たので、宙をとんで、五条の店へ、帰ったのである。 「鹿七、おまえは、この原で待っていろ。二人づれじゃあ、目についてまずい」 「ここにいるのも、目につきますが・・・・」 「じゃあ、ぶらりと、一まわりして来い。わしは、ちょっと、その家を、のぞいて来るから」 鼻は、長屋の路地へ、入って行った。 「五軒目・・・・六軒目・・・・?」 数えて行って立ち止まった。 柴垣
もあり板囲いもある。貧しくても侍は侍なので、おのおの、小門を構えている。しかし名札があるわけでなし、 「はて?」 と、その辺りで立ち迷っていた。 すると、高らかに、笑い声が聞こえ、一つの小柴葺
の門から、背の高い男と、もうすこし背の低い男とが、肩を並べて、道へ出て来た。そして、鼻の姿へ、じろと、流し目を与えてそばを通り抜けた。 |