〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/08 (水) しゅん   えん (三)

「ほんとか、鹿七」
「ほんとですとも、それで、大急ぎに、帰って来たんで」
「ふウ・・・・む」 と、鼻は、大きくうめいてから 「よし、よく らせてくれた。ひとつ、わしが確かめに出向いてみよう。おまえ、案内してくれ」
「だが、いま行っても、家にいるかいないか、分かりませんぜ」
「いいわさ、探って来るだけでも」
何を聞き込んだのか、鼻はひどく意気込んで、五条のわが店屋てんや から出て行った。
花も散りはじめた。もう、桜のこずえ にほのあか く、四月も近い風の味である。
「あの横丁ですがね」
七条鍛冶屋かじや 町から、何もない原っぱ一つを隔てた向うに、近ごろ、どんどん建て増されて来た雑色町ぞうしきまち がある。
「あそこの横の何軒目だって?」
「五、六軒目ですよ。が、ただ通ってみても、何も外からは分かりませんぜ。かき もあり、小門もあり、小さくても皆、平家衆といわれる雑色たちの住居ですからね」
「分かっている・・・・」 と、鼻はあごをおさえて、考えこんだ。
今日は、はしなくも、手代の鹿七が、この雑色町で聞いたという耳よりな話というのは、こうである。
雑色長屋の一軒に、志内しない 六郎という、とるにたらない雑兵が住んでいる。その六郎の所へ、この春先から、小づくりな田舎ざむらいといったような男が、寄食していて、近隣へも、
丹波たんば から出て来た六郎の従弟いとこ ですが、なんとか、六波羅どののはし へ、下部しもべ 奉公なと致したいと思い立っておる者です。たとえ、走り下部しもべ にでも結構です。もし口があったら、お世話してください)
と、あいさつの口上を言って回ったことがあり、たれも、疑わしい者とも思っていなかった。
ところが、男やもめの六郎に家へ、よく洗濯物せんたくもの や縫物などに頼まれて行く近所の女房が、ある朝、 しからぬ二人の行状を、そこの屋内おくない に、見るともなく見てしまったというのである。
六郎と、丹波の従弟という小柄な男とが、むしろの上で、飯を食べていた。
それだけなら、なんのことはないが、ぜん に向かって、いざはし を取るときになると、六郎は、食客いそうろう の従弟を、うやうやしく、上座に直し、しかも、食客の方には、おさい も汁もつけてあるのに、あるじ の六郎は、菜もなしに、稗飯ひえめし だけをボソボソ食べてすましたというのである。
貧しい、雑色暮ぞうしきぐら しの中では、食物と言えば、隣の匂いにさえ、敏感であった。女は、これを、他人ひと にささやかずにいられなかった。 「自分が、食べないで、人に食わせる。しかも、食客に食わせるなんて・・・・」 と、世にも不思議なことを見たようにささやきまわった。
鹿七は、これを聞くと、すぐ、主人がちかごろしきりに言っている 「お尋ね者の小男」 を直感した。てっきり、源氏の残党に違いないと思い、それとなく、のぞき見して、そのつら がまえといい、眼光といい、かの義朝の子悪源太にまぎれない者 ── と見たので、宙をとんで、五条の店へ、帰ったのである。
「鹿七、おまえは、この原で待っていろ。二人づれじゃあ、目についてまずい」
「ここにいるのも、目につきますが・・・・」
「じゃあ、ぶらりと、一まわりして来い。わしは、ちょっと、その家を、のぞいて来るから」
鼻は、長屋の路地へ、入って行った。
「五軒目・・・・六軒目・・・・?」
数えて行って立ち止まった。
柴垣しばがき もあり板囲いもある。貧しくても侍は侍なので、おのおの、小門を構えている。しかし名札があるわけでなし、 「はて?」 と、その辺りで立ち迷っていた。
すると、高らかに、笑い声が聞こえ、一つの小柴葺こしばぶき の門から、背の高い男と、もうすこし背の低い男とが、肩を並べて、道へ出て来た。そして、鼻の姿へ、じろと、流し目を与えてそばを通り抜けた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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