常磐は、今も義朝を忘れていない。また、ここの窓から、鞍馬
をながめ、醍醐 の空を見、子たちの身の上を、忘れることもなかった。雨につけ風につけ、この家の朝夕が、物に豊であることが、かえって、辛
い思いになった。 「どうか、和子たちの、生い育ちを、守らせ給え」 と、朝にも、夕にも、厨子棚
の如意輪観世音 に向かって、祈らない日もないのである。 その小さな如意輪観世音の銀像は、義朝がまだ世にいたころ
── 「そなたの守り本尊にあがめただよい」 と、彼女へ与えたものだった。 常磐が、それへ掌
を合わせる時は、子たちの、ゆく末を念じながらも、その銀像を通して、在
りし日の義朝の面影やら、やさしい言葉までが、偲
ばれてくるのであった。 また、一日中での、楽しい一ときも、そこにすわっている間にあった。 なちがいはない。これはたしかである。彼女自身が、たれよりも知っている。 けれど、 彼女は、自分をかえりみて、おりおり、ひとり心のうちで、怪しみもした。その恥じらいに、たれもいない泉殿の窓で、からだじゅうを熱くし、ひとりして顔を染めてしまうことすらある。 なぜか、彼女は、人が待たれてならない。 ここは神泉苑の森のはずれで、壬生村
の螢小路とはいうが、めったに、牛車や人も通らない都の中の田舎であった。人恋しい思いの彼女は耳ざとくなって、ふと、車の輪の音がしても、 「・・・・もしや」 と、胸が鳴るのであった。 「自分は、あさましい女なのであろうか」 夜の閨
に、ひとり、問いつつ、もだえつ、することもある。 女体という熱い白磁
の器 は、ふしぎな血のみちている壷
である。その中には、極めて、矛盾していて、また極めて自然に、いく色もの心がひとつに棲
んでいる。そして、どれが、本性の血か、自分でないものの血か、わからない。 いや、自分でないものが、自分の中に在
り得ようはずはない。うずく肉、もだえる想念、すべて自分自体にちがいない。── と考えては、身の浅ましさに、サメザメと、春の夜半をひとり泣く彼女であった。その涙恨
には、子への思いや義朝へ詫びもしながら、また、ふしぎなほど体が待つ、清盛への艶
な恨みもともに、枕 をひたすのであった。 女の二十三という肉体は、春ならば今ごろの季節にもあたるのであろう。義朝とは、熱い恋をし、子まで生
しても、なお彼女の体は、早春のさわらびか、つぼみのかたい花だったに違いない。ようやく、いや突として、彼女自身すらおどろき怪しんだ女の体の春の曙
が、意地悪く。いま、義朝ならぬ男によって、訪れられているのではあるまいか。 「罪深い女性
の身よ」 と、彼女は、自分を泣いた。彼女ばかりでなく、平安朝の女、以後の世代の女性も、こういう想いに、黒白
もなく、ただ泣いたのである。 そして、その反省に、畏
む女性は、法華経 の写経に、浄化されようと努めたり、また早くに、髪を切って、尼すがたになったりした。また、解決の途を、肉体の答えに従って、奔放になってゆく女性は、極端な自由を恋愛に焦
きただらし、遊女となり、くぐつにまで落ち、路傍に、卒塔婆
小町 のような姿をさらして、肋骨
を犬や烏 に食わせてしまう女もあった。 常磐は、そのどっちへも、自分をもって行けそうもない気がした。彼女の悲願は、こうなってもまだ、母でありたいことでしかない。どう、そうした想念や熟
れた肉体が狂気しても、いちど心と肉体を合わせて造化された根底の母性だけは、揺るぎも失
せもしなかった。 |