子に気をとられて、良人
の素行には、さほど、うるさくもない女と、夫も多寡
をくくっていた妻が、じつは世間並み以上の嫉妬家であったことを、何十年も連れ添いながら、新たに発見する場合がある。 常盤と夫の風聞を知った ── こんどの時子の態度が、そうであった。 あくる日、彼女はまた、弟の時忠を、部屋へ呼びつけていた。 陽春に近いせいもあろうが、彼女の眼のふちははなはだしく上気していた。 「和殿から、伊藤五景綱へ、きびしく申しつけてください。これは、わが良人
も、御承諾のうえですから」 「は、伊藤五へ、何のおいいつけですか」 「いうまでもなく、常盤御前の処分です。三人の幼子
は、それぞれ御処置もすんだのに、なぜいつまで、あの女性
だけを、密 と、景綱の屋敷にとどめておくのですか」 「それは、時忠の知った沙汰
ではありません」 「けれど、あなたも、問罪所の主判代
でしょうが、公務の上からもかかわらぬわけにはゆきますまい。さっそく、景綱に命じて、常盤を追放するなり、寺院へ入れて髪を剃
させるなり、世間の非難がないように、計ろうて給
べ」 「わかりました。その儀は承知しましたが、六波羅殿のお浮気
は、姉上にも、多少の科がありますぞ」 「そうでしょうか。わたくしに、何の過失があるであろう。時忠どの、言って下さい」 「姉上も、いつか余りに、古女房めいて、色香も褪
せたままにまかせ、とんと、良人の六波羅殿に、女としての粧
いも心入れも、忘れておいでになるから、こんなことが起こったのでしょう」 「四人も五人もの子どもを産めば、女は、たれしも、そうなります。それが女の科
だと、あなたは言うのですか」 「ははは、怒
っては、いけませんよ。弟の善意で言うのですから。── ですから、女は、いや良人に添う女はですね。なんとか、年齢につれて、工夫
しないと、みんな姥桜 のころには、男に捨てられる運命にあるという御注意をいたしたまでです」 「では、どんな工夫をしたらいいんです」 「古めいても、どこかに、新しい匂いを持つことですな」 「わたくしは、遊女や白拍子
ではありません」 「それ、その考え方が、古女房の通有性です。六波羅殿ばかりでなく、世の男の、四十台という年ごろは、これから、何かやりたくなるところです。時忠にしてもそうです。ところが、わが家の女房と来ては」 「そんなことは、男同士の雨夜
の戯 れ話になされたがよい」 「やっておりますよ、その戯
ればなしを。しかるに、どこの男の歎声も同じです。女房は可愛いが、女房はすぐ古くなる」 「勝手なことばかり・・・・」 「まったく、男は勝手です。が、その自我をわが家でたくましく養わなければ、世上の男づきあいや男の仕事にも奮闘してゆけません。ないしろ、四十不惑
とか、古人は言ったそうですが、当世の男は、ちょうど、四十初惑
というところですな。ごらんなさい、六波羅殿もこれから、いろいろやり出しますから」 「滅相
もない。あなたたちに浮かされて、つい、わが夫
も、いい気におなりになるのです」 「いや、それよりも、六波羅殿が、優
れた男となられたら、姉君にも、努めて、ゆかしい匂いや教養を身にあつめて、良人とともに、女も成長してゆかねばだめです。男が、これからという盛りにかかると、女は反対に、萎
んでしまう」 「もう、たくさん、お退
がりください」 「もひとつ、申し上げておく。これも姉君の落度ですぞ」 「なんですか」 「五条の商人
で朱鼻 の伴卜
とかいう者を、お近づけになったのは、。姉君でしょうが。・・・・・ああいう俗物
を、およろこびになるからいけません。常盤御前との橋渡しも、朱鼻だと、聞いています。── 事実、悪源太義平が、殿のお帰りを襲った夜にも、その鼻めが、お供しておったと、常陸
どの (教盛) にも、困ったことだと、眉
をひそめておられました」 時忠にとっては、実の姉なので、こういうときとばかり、忌憚
なく、言ってのけた。 時子はさすがに苦痛らしい唇
をとじた。憎そうに、弟のうす笑いを、睨
めすえている。姉弟喧嘩
は、おりおりにやるが、この弟の雄弁には、いつもやりこめられてしまう。けれど、今度の問題には、決して、負けまいという意志を、彼女は眉
に描いていた。 「ええ、その伴卜にも、きっと、糾明
を申し渡すつもりです。ですから、あなたは、今日中にも、伊藤五景綱へ、常磐の身の処置を、あきらかにするように、伝えてください。かならず、御猶予なく」 「とにかく、心得ました」 「とにかくではありません。わたくしの口から出ても、六波羅殿のお沙汰
ですから、そのおつもりで」 時子は、懸命に、そこを強調した。── かねて常磐の有名な容姿や、また、うらぶれた後も失っていない優
しさなど、うわさは、時子も聞いているに違いない。 そして、世間の情も、常磐にあるのを知って、彼女は、妻の地位の中に眠っていた自分を、俄然
、ふるい起こしたものであろう。女が女を批判するきびしい眼を持って、彼女は、常磐を観
たに違いない。 同日のこと、朱鼻も、時子の前に、呼びつけられた。 「おまえはもう、来てはなりません。出入りをあし停
めます」 「はっ」 と言ったきり、鼻の頓才
も智弁も、急場の役をなさなかった。 「何か、御台盤所
さまには、てまえに、御立腹でも」 「おだまりっ。それは、おまえの胸に問うがよい」 「御台盤所さまのお怒りにふれては、鼻は、腹でも切らねばなりませぬ」 「お切りなさい。切るほどな覚えがあるでしょう。おかしげな、おどけ者よと、軽う見て、出入りを許しておけば、ろくなお勧めはせぬ。わが夫
をそそのかし、夜ごと、常磐通いの手引きなどして」 「や。・・・・それには」 と、鼻が頭へ手をやって、何か、言い訳しようとする間に、時子は、几帳
のそばを立ち、もうその袿衣 の裳
を奥の廊へとひいていた。 |