〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/07 (火) 忘 ら れ 妻 (二)

あくる日、清盛は、常よりも遅くに起きたが、何食わぬ顔して、便殿で出仕の衣裳いしょう をつけていた。
すると、時子の侍女が、下に、かしこまって告げた。
「あの、今朝ほどは、御台盤所みだいばんどころ さまも、朝餉あさげ を御一緒に遊ばしたいと仰っしゃって、お待ちしておられますが」
「なに、朝餉を。・・・・夜でもないのに、朝からなんで、おれを待つのか」
清盛は、あわざと、それどころではないような忙しさを顔に作って、
「今朝は、参内せねばならぬ。朝議やら、何やら、ここ当分は、清盛のからだが、幾つあっても足りぬほどだ。夜には、奥へ行くと、いうておけ」
すぐおおやけ の牛車を出させ、正門廊せいもんろう の外に居並んでいる家人けにん遠侍とおざむらい に会釈をくれて、内裏へ出仕してしまった。
事実、清盛の毎日は、多忙の連続であった。家にいても、朝廷へ出ても、忙しさは、つきまとっている。
「ひとつ、御内諾を」
とか、
「おり入って、御賢判を仰ぎたく」
とか、あるいは、
「おさしずを待っておりました」
などと、彼の出仕日には、公卿諸官が、分かりきった時務まで持って来て、ひたすら彼の鼻息びそく をうかがい、また彼の忌憚きたん を、おそ れるふうであった。
朝廷は、彼がいつまでも、太宰大弐だざいにだいに では困るので、先ごろ彼を権中納言にすすめた。
清盛もこんどは断らなかった。といって、かくべつ、うれしがりもしない。人のよくやる昇進祝いなども、やりそうな様子はなかった。
しかし、彼の存在は、だまって、殿上にいるだけで、絶大だった。
これを、彼の父忠盛が、むかし昇殿問題で、公卿たちから、継子ままこ いびりのような白眼視と、いやしみを受けていた時代に思い比べれば、たれにも隔世の感があった。
(殿上も世間のうちよ。いつまでも雲の上ではない。世間が変ればここも変る)
彼の姿は、そう言っているように見える。急激に変ってきた時流の象徴が彼であった。何を決めるにも、清盛のうなずきを得ないことには、不安であったし、まとまらなかった。いいかえれば、武力の作用が大きく人の心を支配し始め、かつて、武人に与えられなかった殿上の発言権に、武門の意見が断然、主座を占めて来たということなのである。
さしずめ、太政大臣には、藤原伊通ふざいわらこれみち を。
左大臣には、忠通ただみち息子むすこ 基実もとざね を、また、徳大寺とくだいじ 公能きみよし が、その後、右大臣に任ぜられた。
朝廷は、均衡のうえから、かさねて、清盛に、正三位参議をさずけた。
それも、清盛は、拝受した。もう、何を与えても、受けそうである。
改元が行われ、平治はm永暦元年となった。
九州地方で、日向太郎通良みちよし が、乱を起し、追討の勅を奉じて、筑後守家貞が、南下していた。それも近く凱旋がいせん して来るという。
そのほか。
二条天皇の皇后を立てるについて、主上のお身のまわりにも、極秘のうちに、あるむずかしい問題が起こっていたりした。
じつに、それやこれやの多忙である。いちいち清盛の耳に入る。意見を聞きに来る。諒解を求めに来る。けれど、彼はなお、一参議でしかないので、
伊通これみち どのに、聞いてくれ。おれには分からん」
たいがいなことは、あの磊落らいらく な老公へ押しつけてたるのだった。
気心が知れているうえ、平家には好意を寄せているし、かつは、常盤の仕えていた九条院の父君にあたる伊通である。清盛にとって、太政大臣には、これ以上、かっこうな人物は、ほかにない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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