〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/04 (土)  てん によ (一)

  花の上の月はあまりのはかな さに
  声うちあげて泣きたくぞおのふ
孤独というよりは、もっと空しい寂寥せきりょう である。それにじっと堪えている魂が、嗚咽おえつ のように、つぶやいた。
ひとつの古歌が思い出されたのか、自分のつきつめた思いが歌の形をとってむせ び出たものか、常盤の胸はいま、そうしたけじめも、風雅ふうが も持たない。
ただ、ふと、吐息の下に、口ずさんだだけである。
彼女は、ここの女房部屋の窓に、もたれたまま、身じろぎもせず、外のおぼろ に向かって、春の夜を、うつろにいた。
今若いまわか は、どうしたろう。乙若おとわか は、人に馴ついているだろうか。
母を離れて、鞍馬くらま の上へ、人に抱かれて去った牛若うしわか は、どう育って行くだろうか。
(── 親はなくても子は育つ)
たれかが言ったその言葉が、どうか真理であってくれればよい。彼女はそう祈りながら、また、その言葉の持つ底冷たい世間の常識がうらめしくもなった。子をもぎ取られてうつろ になった孤母の姿を自分に見て、
(もう、どうしよう・・・・)
と、生きる力も失った。
恋痩こいや せのうつろな人のことをよく “空蝉うつせみ の君” と言ったりするが、乳房や、添い寝の子を幾たりも一時に奪われた母の虚脱は、それとはくら べようもないむな しさである。
また、意地悪く、牛若が山へ送られてから、乳も れるほど張ってきた。余りに乳房のうず きを らせたせいか、乳房にゅうぼう から全身にねつ をおこし、それに母として、三人の子の命が、とにかく救われたという安心も手伝って、幾日か、病床についてしまった日もある。
そんなとき、ここの屋敷の主の伊藤五景綱は、
「万一、長引くようなやまい にでもなっては、六波羅どのへたいしてもおそれあり」
と、医師を迎え、薬餌やくじ や手当てにも怠りなく、常盤の容態といえば、一方ならぬ気づかいを示すのだった。
なんで、景綱をはじめ、召使までが、自分をそのように大切にするのか、常盤には、それも分かっていた。よく分かっているだけに、
(もう、どうしよう)
と、そのことにも、生きるのが恥じのように、おののくのだった。
この女房部屋の見張りの役を兼ねて、常盤の身のまわりに仕えている老女は、ある日の世間ばなしに、こんなこともささやいた。
「ちまたでは、みな、あなた様のことを、たた えておりますよ。── みさお を守るだけが何も貞女ではない、常盤ときわ 御前ごぜ のように、操を捨てて子を救ったのも、たぐい のない貞女よ、立派な女の道よと、みな言うのでございます」
また、景綱の妻も、ある日、そっと見舞いに来て、
「世には、六波羅どののお目にとまって、ご寵愛ちょうあい をうけたいと、心ひそかに、眉目みめよそお う女性は、どれほど多いか知れますまい。── それを思えば、あなたは、なんというお幸せか知れません。よほどいい月日の下に生まれ合わせたのでしょう。もう、なにごともクヨクヨしないで、せいぜい美しくp飾り遊ばせよ。ほんにお若いのですもの。女の盛りは、これからです。そのうえ、六波羅どののおも われ人となれば、どんな栄花えいが だって、望めないことはありません」
と、言ったりした。
常盤は、身をちじめて、襟元まで羞恥しゅうち に染まりながら、そで の裏に顔を隠して聞いていた。耳をふさぎたいような母性の理智と、氷の池みたいに堅くしている貞操の意志の底を、ふと、春の ざしに、意地悪くのぞかれているような気持に、なぶ られるのであった。
とにかく。
人はみな一様に、清盛は、事前に、常盤のからだを自由にした。そして、常盤も、身をゆるした。だから聴かれないはずの願いも、聴き届けられたのだと、決めてかかっているのである。
ところが、そんな事実は、二人の間には、まだなかった。
清盛に、凡夫の野心が、潜んでいたのは争えない。けれど、政治と、貞操とを、交換条件にして、無力な寡婦かふ を、むりに口説き伏せたというような説は、周囲の憶測おくそく であり、ちまたの捏造ねつぞう である。清盛には、身に覚えがあるまい。
すべて、そういう 「清盛的性格」 は、平家滅亡後に、鎌倉期の筆者が、作りあげたものである。
もとより多分に、彼も、凡夫ではあり、多情多血であり、また権力をふるった時代型の人間には違いなかったが、常盤との関係は、余りに、ゆがめられすぎている。
なにぶんにも、後の鎌倉幕府たる頼朝の治下にんまっては、義経の生母である常盤と、清盛との関係は、あんなふうに書かなければ、ぐあいが悪かったものであろう。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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