頼朝が、伊豆へ流されたころ、前後して、ほかにも、三人の流刑者が、都から消えた。 前
の伏見中納言師仲もろなか 。これは、下野国しもつけのくに
へ。 それと。 前さき
の検非違使別当けびいしのべっとう
惟方これかた が、長門なかと
へ。── 夕顔の三位経宗つねむね
もまた、阿波あわ へ流された。 惟方、経宗のふたりは、六波羅にとっては、大功がある。一度は、清盛の敵に立ち、謀反組むほんぐみ
の主脳的な立場にいたが、寝返りを打って、結果においては、まるで清盛の為に、平家開運の一大機会を、わざわざ担かつ
ぎ込ん来たようなことになり終わった者たちである。 が、その後も、この二人には、すこしも自己の責任や、裏切った友への良心が認められないばかりか、むしろ功に誇って、仙洞御所せんとうごしょ
の内でも非礼な言動がままあったので、ついに、後白河上皇も、御堪忍をやぶって、 (このままでは、かえって、彼らの為によろしくない。糾明きゅうめい
して、遠島にせい) と、清盛へ下命されたものだった。 清盛は、畏かしこ
まって、容赦なく、上皇の命のままを、履行りこう
した。清盛にとっても、これは好ましい処断だったに違いない。 春のちまたは事多い。 人も花も、ほっと、平和の息づきはして見えるが、戦後の時務は、なお多忙だった。 常盤ときわ
の子 ── 義朝の遺児三人もまた、こうしたどさくさまぎれといえるような間に、それぞれ、幼い身の処置を、つけられていた。 今若いまわか
は、醍醐だいご へ上げられて、出家を約され、中の乙若おとわか
は、 (ゆく末、坊官の法師になと、さえ給え) と、天王寺の別当八条宮へ託された。 末の子 ── まだ二つでしかない牛若は ── 乳も離れていないので、母の常盤は、生木なまき
を裂かれる思いを断ち切れなかった。いくたびも、伊藤五景綱や六波羅の要路へ、 (せめて、乳の離れるまで、母の手に・・・・) と哀訴したのであるが、許されなかった。
「何条、これ以上の寛大を ──」 というのが、衆口一致の考えであった。 ── で、その牛若も、やがて、他人の乳房に渡され、後、叡山えいざん
の末寺、鞍馬山くらまさん 鞍馬寺の東光房へ、 (幼少のうちは、稚子ともなし、成人の上は、阿闍梨あじゃり
円乗えんじょう の弟子となせ) と、きびしい条件付で、預けられた。 これが、街まち
へわかると、街では、京雀きょうすずめ
が、色々ないわさを囀さえず った。 「どうです、女の魅力というものは」 「いや、一概には言えませんよ。女でも常盤ほどな美人でなければ」 「だからですよ。もし常盤御前が、ぶきりょうだったら、どうでしょう」 「おそらく、三人の幼子おさなご
は、助かっていないでしょうな」 すると、べつな者が、しかるよう言った。 「つまらんおうわさをするものじゃありませんよ」 「おや、おまえさんは、たいへん不機嫌な顔をなさるね」 「だって、もし常葉御前が、醜女ぶおんな
だったら、九条院でお召し抱えのとき、千人中の一人に選ばれやしないでしょうが」 「それは、きまっているね」 「義朝様との恋もあり得なかったじゃありませんか。当然、三人のお子たちも生まれはしない」 「だから、どうなんです」 「おまえ方のうわさは、くだらないというんです。凡下ぼんげ
の邪推じゃすい はおよしなさい」 「へえ・・・・それでは、なんですか。なんの、条件もなく、清盛様が、敵の子たちを、助けたというのかね」 「交換条件なんてものが、もしあったら、おかしいじゃありませんか。時めく、六波羅どのですよ。何も、自分の沽券こけん
を落したり、将来の危険を冒してまで、子づれのやもめに、そんな無態むたい
を強し いなくても、天あま
が下には、降るほど、女はいますからね」 「いや、いない。常盤御前ほどな女性にょしょう
はいない。── と、いう思し召しだから仕方がない」 「なんぼ、絶世の佳人であろうと、この道はべつだといっても、それまでの代価を払うとは、考えられませんな」 「はははは。そう考えるのも、御勝手だが、おまえさんは、四十男の、しかも、勝者が敗者の女を観み
る気持 ── なんかおわかりにならないのさ」 この春の話題は、それで、もちきっていた。 辻評議つじひょうぎ
ばかりでなく、公卿のあいだでも、僧院の学生がくしょう
間でも、尼寺の奥でも、また六波羅の内においてすら、清盛の心事と、常盤の心を、ならべて、 「ありそうなことだ」 といい、 「いや、あるまじきことだ」 といい、果ては、六波羅殿の常盤通いを目撃したという立証人りつしょうにん
もあらわれたりして、是々非々の論は、にぎやかだった。 |