〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/02 (木) はる だい (一)

頼朝が、伊豆へ流されたころ、前後して、ほかにも、三人の流刑者が、都から消えた。
さき の伏見中納言師仲もろなか 。これは、下野国しもつけのくに へ。
それと。
さき検非違使別当けびいしのべっとう 惟方これかた が、長門なかと へ。── 夕顔の三位経宗つねむね もまた、阿波あわ へ流された。
惟方、経宗のふたりは、六波羅にとっては、大功がある。一度は、清盛の敵に立ち、謀反組むほんぐみ の主脳的な立場にいたが、寝返りを打って、結果においては、まるで清盛の為に、平家開運の一大機会を、わざわざかつ ぎ込ん来たようなことになり終わった者たちである。
が、その後も、この二人には、すこしも自己の責任や、裏切った友への良心が認められないばかりか、むしろ功に誇って、仙洞御所せんとうごしょ の内でも非礼な言動がままあったので、ついに、後白河上皇も、御堪忍をやぶって、
(このままでは、かえって、彼らの為によろしくない。糾明きゅうめい して、遠島にせい)
と、清盛へ下命されたものだった。
清盛は、かしこ まって、容赦なく、上皇の命のままを、履行りこう した。清盛にとっても、これは好ましい処断だったに違いない。
春のちまたは事多い。
人も花も、ほっと、平和の息づきはして見えるが、戦後の時務は、なお多忙だった。
常盤ときわ の子 ── 義朝の遺児三人もまた、こうしたどさくさまぎれといえるような間に、それぞれ、幼い身の処置を、つけられていた。
今若いまわか は、醍醐だいご へ上げられて、出家を約され、中の乙若おとわか は、
(ゆく末、坊官の法師になと、さえ給え)
と、天王寺の別当八条宮へ託された。
末の子 ── まだ二つでしかない牛若は ── 乳も離れていないので、母の常盤は、生木なまき を裂かれる思いを断ち切れなかった。いくたびも、伊藤五景綱や六波羅の要路へ、
(せめて、乳の離れるまで、母の手に・・・・)
と哀訴したのであるが、許されなかった。 「何条、これ以上の寛大を ──」 というのが、衆口一致の考えであった。
── で、その牛若も、やがて、他人の乳房に渡され、後、叡山えいざん の末寺、鞍馬山くらまさん 鞍馬寺の東光房へ、
(幼少のうちは、稚子ともなし、成人の上は、阿闍梨あじゃり 円乗えんじょう の弟子となせ)
と、きびしい条件付で、預けられた。
これが、まち へわかると、街では、京雀きょうすずめ が、色々ないわさをさえず った。
「どうです、女の魅力というものは」
「いや、一概には言えませんよ。女でも常盤ほどな美人でなければ」
「だからですよ。もし常盤御前が、ぶきりょうだったら、どうでしょう」
「おそらく、三人の幼子おさなご は、助かっていないでしょうな」
すると、べつな者が、しかるよう言った。
「つまらんおうわさをするものじゃありませんよ」
「おや、おまえさんは、たいへん不機嫌な顔をなさるね」
「だって、もし常葉御前が、醜女ぶおんな だったら、九条院でお召し抱えのとき、千人中の一人に選ばれやしないでしょうが」
「それは、きまっているね」
「義朝様との恋もあり得なかったじゃありませんか。当然、三人のお子たちも生まれはしない」
「だから、どうなんです」
「おまえ方のうわさは、くだらないというんです。凡下ぼんげ邪推じゃすい はおよしなさい」
「へえ・・・・それでは、なんですか。なんの、条件もなく、清盛様が、敵の子たちを、助けたというのかね」
「交換条件なんてものが、もしあったら、おかしいじゃありませんか。時めく、六波羅どのですよ。何も、自分の沽券こけん を落したり、将来の危険を冒してまで、子づれのやもめに、そんな無態むたい いなくても、あま が下には、降るほど、女はいますからね」
「いや、いない。常盤御前ほどな女性にょしょう はいない。── と、いう思し召しだから仕方がない」
「なんぼ、絶世の佳人であろうと、この道はべつだといっても、それまでの代価を払うとは、考えられませんな」
「はははは。そう考えるのも、御勝手だが、おまえさんは、四十男の、しかも、勝者が敗者の女を る気持 ── なんかおわかりにならないのさ」
この春の話題は、それで、もちきっていた。
辻評議つじひょうぎ ばかりでなく、公卿のあいだでも、僧院の学生がくしょう 間でも、尼寺の奥でも、また六波羅の内においてすら、清盛の心事と、常盤の心を、ならべて、 「ありそうなことだ」 といい、 「いや、あるまじきことだ」 といい、果ては、六波羅殿の常盤通いを目撃したという立証人りつしょうにん もあらわれたりして、是々非々の論は、にぎやかだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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