「悲しいのか。・・・・常盤」 「い、いいえ、もう、涙はかれ果てました。ただ、獄舎
の老母を、お放しくださいませ」 「ム。放してやる」 清盛は、明瞭めいりょう
に言った。つづいて、 「今まで、どこに隠れていたか。また、なんの目的で幼子おさなご
たちを、抱いて逃げまわったか」 と、問いただした。 「はい、大和の龍門に、おりました、和子たちを手離さないのは、世の母と、変りもない、あたりまえに気持としか、お答えのしようもございません」 「都へ帰って来たわけは」 「老母の命に代りたいためです」 「牛飼親方の伯父とやらが、密訴して出たが」 「いいえ、わたくしは、自分で名のり出たのでございます。伯父はどう申し出たか、分かりませんが」 「そうだろう。いや、さなくても、都へ帰って来るばかはない」 清盛は、うなずいた。そして、母子のさまを、しばらく見入っていたが、不意に、 「乳は、出るのか。乳は」 と、たずねた。 常盤は、ふところの子を、のぞきこんだ。声もなく、顔を、かすかに振ってみせる。 「あまり出ないのか。いや、さもあろう」 清盛はひとり喞って、何か、遠くを思うような顔をした。 「女親とは、おろかな者よ。ない食べ物も、あるように見せ、良人おっと
に食わせ、子に食わせ、そして、あか児には、乳を、せびられる。・・・・まして、野や山を、逃げさまようながら、よく、乳のみも、死なせずにいたものよ」 「・・・・・」 「常盤よ。こわがることはない。戦いくさ
は、清盛と義朝のしたことだ。女の和御前わごぜ
に、科とが はない」 「・・・・はい」 「惜しむらくは、義朝ほどの男も、身に不平を抱いたため、青くさい公卿くげ
輩ばら に乗ぜられ、政略もなく、一敗地に、敗れ去った。この清盛をも見損にそこの
うての」 「・・・・・・」 常盤は、堪えられなくなった。がば、とうつ伏すと、やはろ女でしかない身をふるわせて、人目もなく、よよと泣いた。 「も、もしっ・・・・大弐だいに
さま」 何か、彼女は、訴えかけた。 清盛は、彼女の黛まゆ
に、ふと、気をとられ、深い睫毛まつげ
のべっとり泣き濡れているのが、その黛まゆ
を、世にもないほど、多感な象徴に、見せていた。いや、彼の多情が、そう見たのだった。 「悲しむことはない。常盤ときわ
御前ごぜ 、武門の合戦は、女どもが、あずかり知らぬことだ。和御前わごぜ
が、名乗り出た以上、老母も、放してくれる。また、そなたの罪もとわぬ。泣くな、和御前は、斬りはせぬ」 「いいえ。いいえ・・・・」 と、常盤は、円座をすべり出て、なお必死に言った。 「この身の命など、ゆめ、惜しいとは思いませぬ・・・・どうぞ、そのお慈悲をもって、この和子たちの、お命を」 「なに」 「お慈悲です。・・・・大弐さま、和子たち三人のお命を、おたすけくださいまし。常盤の身は、河原で斬られましょうとも」 「女臈めろう
っ、図ず にのるなっ」 清盛は、まるで、別人のような語気を発して、彼女の身がしびれるほど、どなりつけた。 「あわれをかければ、しぐつけ上がる。女どもの憎いくせだ。そちはもとより九条院の雑仕女ぞうしめ
、義朝に愛されたとはいえ、氏うじ
もない門外の花にすぎぬ。けれど、子は正しく、源家の血をひいた男お
の子ばかり。助けおくことは出来ぬ。── 助けるなど、もってのほかな」 一語をしおに、清盛は、座を立った。しかしなお、広床ひろゆか
に見える黒髪から、にわかに眸を離しがてににらみすえて、 「そちも、義朝とともに、この清盛を見損なうか。清盛は、慈悲ぎらい、大だい
の無慈悲だ。 ── 景綱、時忠」 「はっ」 「女や童わっぱ
どもを、下屋しもや へ退さ
げろ。もう、糾問きゅうもん もすんだ。これくらいでいい」 言い捨てると、彼は左右の侍者じしゃ
が追うのも待たず、さっさと、対ノ屋を渡って、奥ふかく隠れてしまった。 |