〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/27 (土) ぞく常 盤 ときわ ぞう (二)

清盛は、長い廊をどすどすと、大股おおまた に歩いて来た。問罪所は、仮に、西のたいはず れにあった。舘は今、そこらじゅう、新しく普請ふしん したり、建て増しをしたり、庭園も以前の何倍にも広げるべく、工事中であった。
「どこだ、常盤たちは」
「あれに控えさせてあります」
「下にか」
と、清盛は、欄干のそばまで出て、階下を見まわした。
地に、むしろを延べ、子を抱いた常盤が、ひれ伏していた。その姿の右と左に、幼子おさなご がいた。どっちの小さな手も、母のたもとを、固く握っている。
「景綱」
「はい」
「女や、子たちに、席をやれ、席を」
清盛は、いいつけた。そして殿座てんざ の中央に、自分はすわった。
「・・・・?」
景綱は、ちょっと、まごついた。席とは、どこへ席を与えるのか。常盤を囚人めしうで としている奉行的観念ぶぎょうてきかんねん が、判断を鈍らせた。
「そこへでいい。その辺へ」
清盛は、あごで、広縁ひろえん をさした。
意外としたのは、景綱ひとりではない。けれど、主人のあごは、、正しく、きざはし の上をさしている。
「ここでしょうか」
三つの円座えんざ を、床に並べると、清盛は、うなずいた。
で、時忠が、
常盤ときわ 御前ごぜ 。上へ、おあがりなさい」
と、うながした。
おびえる子たちをひざへ寄せて、その母も、おびえていた。景綱が、かさねて言った。
「上へと、仰せられる。上って、床の円座をいただくがよい」
常盤は、牛若を片手に抱え、片手に乙若の手を引いて立った。今若も、そげ にすがりついて、母と一緒に、きざはし をのぼった。
このとき、六波羅中のさむらいたちは、音に聞く常盤の容色を見ばやと、あらゆる物蔭に、ひとみ をひそませて、すき見したといわれている。
千人のうちからただ一人選び出された九条院の美女たおやめ ということが、たれにも記憶されていた。
清盛もまた、それにひそかな、興味があった。
男が、美人を見る場合、公式な無感情をもって臨んでも、また、同情と憐愍れんびん を抱いていても、美しい女性を、美しいと感じることに、増減はない。
むしろ、心のなかで、美を美と てはならないとする理性と、正直な凡情とが対立する。そして、意地わるく、女体の美や秘密な香気までを、さぐりたがったり、しがちである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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