ゆうべ、清盛は余り寝なかった。べつに、なぜということもなく。 しいて、理由を求めれば、このところ、少々、政務づかれもある、参内しても、まだ閣議や内裏の故実
に不馴ふな れな彼は、なんとなく、よけいな気もつかう。 一見、しちめんどうな旧例などには、無頓着むとんじゃく
なようでいて、じつは、細心なのが、彼の彼たる表裏である。── そいう性情から見て、池ノ禅尼や小松重盛の慈悲攻めがなくても、頼朝の処分だの、また、ゆうべは、常盤とその子たちの所在の密訴を聞いたりして、なんとなく、熟睡できなかったような心事もあり得なくはない。 「時忠。・・・・見たか」 「と、彼は午ひる
ごろ、唐突とうとつ にたずねた。 景綱屋敷からの報し
らせによって、時忠は、常盤母子の収容をそこに見届け、いま戻って来たばかりである。 「はい、検分して参りました。仰せどおり、酷むご
うはしてありません。一室へ囲い入れて、武者どもを立たせてありました」 「母子おやこ
とも、つつがないか」 「乳のみ子が、おりおり泣きますし、常盤の容色も、さすがに、やつれては見えましたが」 「ひところは、義朝との浮名をうたわれ、京雀きょうすずめ
にも、公卿輩くげばら にも、そねまれたほどであったが」 「まだ、二十三ですのに、三人の母となり、野に飢え、伏屋に隠れて来たので、あわれ、見る面影もあるまいと思いましたが・・・・九条院のお情けで、髪から衣裳いしょう
まで、装よそお い匂にお
やかにして来ましたので、よけいに、不愍ふびん
さを誘われました」 「そうか。ふうむ・・・・」 「ところで、お取調べは、どうなされますか。吟味ぎんみ
も、景綱かわたくしがいたして、文書もんじょ
として、お目にかけましょうや」 「いや」 と、彼はすぐに首を振った。 「おれが直々じきじき
に、問いただそう。ほかならぬ。義朝の胤たね
、しかも男の子ばかり三名の処置、これは、おれがやらねばなるまい」 時忠は頼朝の問題のもつれを、うすうす耳にしていた。── これは、池ノ禅尼などのような、差し出口のないうちに、清盛が、果断を下すものであろうと察して、 「いつ、これに、ひきすえましょうか」 と彼の大きくむすんだ唇くち
もとを仰いだ。 「早いがいい。夕までに」 「かしこまりました」 時忠は、その手はずに、退ひ
きさがった。 おりふし、ちょうど、来客があった。 例の磊落らいらく
な人物、藤原伊通ふじわらこれみち
である。── 伊通は、事件を聞いて、さっそく、九条院のために、清盛が誤解することのないように、陳弁ちんべん
に来たものらしかった。 「いや、清盛は、そんな猜疑さいぎ
は、みじんも持っていません。あなたらしくもない御心配だ。それよりも、あなたのように、殿上のことに明るい上卿は、こんな時こそ、大いに、時務や政幣せいへい
の刷新に、お心を傾けてください」 と、暗あん
に将来、片腕とも恃たの むような意中をほのめかして、大いに、もてなして帰した。 事実、清盛は、伊通の磊落な性格が好きだった。伊通も、自分に対して、好意を寄せて来たものと、観み
ている。客が客だったので、思わず杯をかさね。昼のせいか、伊通を送り帰した後までも、酔いを覚えていた。 そこへ、景綱と時忠が、並んで出て、 「仰せ付けのように常盤母子を、門罪所の庭先まで、ひきすえました」 と、告げて来た。 |