「てまえは、巨椋
の牧まき に住む牛飼親方の富蔵と申し、常盤ときわ
御前ごぜ の伯父に当る者でござりますが」 と、たそがれ刻どき
、六波羅問罪所へ、訴え出た男がある。 問罪所の主判代、非蔵人ひのくろうど
時忠ときただ は、ただちに密訴の内容を聞き取って、 「よし、沙汰さた
のあるまで、訴人部屋に待て」 と、番を付けて、常盤の伯父を、獄舎ひとや
も同様な囲いの内へ押し込めてしまった。 「冗談じゃねえぞ。おれは、お尋ね者のいどころを、わざわざ知らせに来た者だ。褒美ほうび
の金を、いただきてえんだ。よく訴えに出たとも言わず、こんな所へ、ぶち込む法があるかやい」 富蔵は、番の武者に、吠ほ
えたてた。けれど、取り合う者はない。 さきに、六条河原で、右衛問督信頼の死骸しがい
を、つえで打った老人といい、また、義朝主従を、だまし討ちにした長田おさだ
忠致ただむね といい、今また常盤の伯父といい、すべて、以前に恩義のある者を裏切るばかりか、敗者の弱みにつけこんで、自己の欲望や功名にしようとする一群の卑劣な人間どもの続出するのを見て、六波羅の主あるじ
清盛は、かえって、憎悪ぞうお
を抱いていた。 (そのような密告者には、賞を与うる代わりに、無情の報むく
いと、恥を知らせてやれ) とは、かねがね、問罪所の時忠にも、内示してあることだった。時忠が、常盤の伯父に執と
った処置も、清盛の政策を、そのまま吏務として行っただけに過ぎない。 夜中ではあったが、時忠は、すぐ、清盛へこれを伝えて、 「どう取り計らいましょうか」 と、さしずを仰いだ。 「・・・・そうさなあ?」 清盛は、冴さ
えない顔つきで、考え込んだ。 このころ、まだ、例の頼朝の処分について、池ノ禅尼といい争っていた最中である。 ほとほと、敵将の女子どのの処分などには、自身、関かか
ずらうのも、億劫おっくう らしい容子ようす
に見える。 「ま。・・・・伊藤五景綱に任せろ」 「では、景綱に命じて、すぐ、からめ捕と
らせますか」 「大げさな兵など差し向けるにも及ぶまい」 「もとより、義朝どのの忘れ形見三人も抱えている女ですから」 「大和の奥に隠れていたのを、伯父の牛飼男とやらが、都へ連れ戻したものとあれば、常盤は、自首するつもりで帰ったのであろう。──
老婆を老母を獄から助け出して欲しいばかりに」 「牛飼めは、さようには申しませんが」 「それやいうまい。金ほしさに、訴人して出たやつだ。前には、義朝の門にも出入りし、姪めい
のために、恵みも受けていたろうに、憎むべきやつ。構えて、賞罰を誤るな」 「お旨は、心得ております」 「景綱には、言うがよい。からめに向こうても、子連れの女、余りには、むごくあつかうなと」 「は。申しそえましょう」 「そして、ひとまず、景綱の屋敷へ、つないでおけ。沙汰さた
は、いずれ考えおく」 時忠は、かしこまって、その夜また、近くの伊藤五景綱を訪い、清盛の命を、そのまま伝えた。 景綱が、一隊の郎党を引き連れて、六条の草庵を襲ったのは、夜明けに近いころだった。けれど、庵には、何者もいなかった。 近所の者の話で、前日の夕べ、常盤が、九条院へ行ったことがすぐ知れた。もちろん、同勢は、ただちにそこへ殺到した。 「これは、六波羅殿の命をおびて、義朝どのの想おも
い女もの 、常盤ときわ
御前ごぜ と稚児ちご
三名を、召し捕えに来た者でおざる。お匿かく
まい立てありては、後日のお難儀が、かかるやも知れません。かくいうは、伊勢守伊藤五景綱にて候う」 と、彼は、部下の狼藉ろうぜき
がないように、院の家司にあって、ていねいに、申し入れた。家司の答えも、いんぎんであった。 「けっして、常盤どのを、匿まうのではありません。昨夜、女院にお暇いとま
乞ご いに見え、すぐ名のり出ると申すのを、女院より髪や衣裳いしょう
もととのえて行けとの仰せをいただき、今朝、早くから支度しているところです。しばらく、御猶予をねがいたい」 もちろん、景綱の方にも、異存はない。 武者たちは中門の供待ともまち
へ入って、常盤母子が、身支度するのを、待っていた。 |