二ツの牛若は、男の子のつねでもあるが、生まれた時から虫気
がつよく、若い母は、この子が泣き出すと、日ごろでも、脅おびや
かされるようになる。 追捕の眼が光るちまたをさまよい歩くうち、乳も出なくなり、むりな食べ物を、みどり児の胃に与えたせいか、牛若は、きのうあたりから、青い糞便べん
をして、泣きかたも、ただではなかった。 「この身に代えても、和子のお生命いのち
を、守らせたまえ」 彼女は子安観音の宝前へ、心のうちから、何百遍、こう祈り叫んだことか知れない。 ここ十日ほどの間、火を見ても、刃を見ても、せつなに、黒髪のさか立つ恐怖と同時に、心を、しかと堅かた
めるのは、 (── 和子たちの生命に代れ!) と、自分へ命じる本能の声 ── 母性の叱咤しった
── それであった。 九条院の園生そのう
にいた時から彼女はすでに母であった。義朝と会っている日も母であった。戦火のちまたへ出ても母であった ── そしてこの子安観音の大床に、凍こご
え潜ひそ んでいる今も、母である。 けれど、危害、飢え、路頭の迷い、追捕の危険などに、追いつめられ、おいつめられて、日をふるほどに、その母性は、違って来る。 だんだん自分の意欲には、愚おろ
かなほど、淡うす くなり、そして子供たちの生命が、まったく自分の生そのものになっていた。 権化ごんげ
という言葉が、そのまま彼女に、あてはまる。母性を権化しきった母。── この春で二十三になったばかりの若い母にそれが見える。 家を出たとき着ていたままの小袿こうちぎ
の裳もすそ もつづれ、腰衣こしぎ
の紐ひも の解けたのを床ゆか
にひいて、泣き止まぬ牛若を抱きあやしながら、燈籠とうろう
の燭しょく ほのぐらい内陣ないじん
のあたりを、身を揺り籃かご にして行き来している彼女の姿は、そのまま、慈母じぼ
観世音かんぜおん 菩薩ぼさつ
が、玉虫たまむし 厨子ずし
から金泥きんでい の宝壇ほうだん
を降りて、歩いているようでさえあった。 ・・・・ふと、遠くで、重い厨子開ずしびら
きの扉と を、たれやらきしみ開あ
ける音がした。 常盤のひとみは、すぐ、びくとして、ふりかえる。 「・・・・お、蓬子よもぎこ
か」 「はい、蓬子です。やっと、光厳さまにお願いして、葛くず
の粉を掻か いてまいりました」 「そう。・・・・ああよかったこと。すぐください。和子が、飢えきって、この通り、もう声も出ず、泣きわなないているのです」 「オオ、ほんに、むしゃぶりつくように、おあがりなさいますこと」 「・・・・生きようとするのでしょうね。無心ではありませんよ。一心です。ごらん、息もつかないで葛の湯を飲みくだしている和子のくちもとを」 自分のふところを、見まもりながら、常盤はまた、涙にくれた。涙は、こんなに出るのに、なぜ、乳は出ないのか。もっともっと自分の血も肉も、みな乳になって、出てくれればと思ったりした。 「常盤どの。・・・・やっと、和子も泣き止みましたね」 光厳がうしろに来ていた。蓬子は、それをいうのを、わすれていた。 「お・・・・光厳さま、この真夜半まよなか
まで、お世話をおかけいたしまする」 「世話などは、なんともしません。けれど、困ったことができました」 「・・・・なんぞ、また?」 「お分かりでしょう。寺中が、うるさくなって来ました。もう、ここも安全ではありません」 「ああ、どうしましょう、ここを出て」 光厳の話によると、夜ごとの嬰児あかご
の泣き声で、常盤が、観音堂の一堂にいることは、たれ知らない者はない。 あしたは、六波羅のなにがしという武将が、この山一帯を、詮議せんぎ
に来るということが聞こえている。当然、寺中の問題になり、光厳は、その責任者と見られているというのである。 「乙若様を、わたくしが背負しよ
いましょう。蓬子さんは、今若様の手をおひきなさい。そして、常盤どのは、牛若様を抱かれて、夜の明けぬまに・・・・」 光権は、うながした。夜が明けては、おそいという。
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