正月の夜である。 といっても、寒い、火の気もない、だだっ広い大伽藍
のやみでしかない。墨のような夜気やき
が、欄干に流れ、大床おおゆか
は氷の池に似、わずかに、廻廊かいろう
の蔀しとみ や壁が、外の山風を、防いでくれているだけであった。 「オオ・・・・よち、よち。・・・・泣かいでもよい、母のふところぞよ。寒いかや。何は、さは泣くぞ。・・・・さは泣くぞ、和子は」 正しく言えば、ここは洛東八坂郷やさかごう
音羽山。 そこの清水寺の内にある子安観音こやすかんのん
の御堂に、宵のうちから、嬰児あかご
の声が、もれていた。 常盤ときわ
と、そのふところの乳ち のみ児の声だった。 いや、御堂の太柱ふとばしら
の下には、むしろを敷き、薄い夜の具もの
を被かず かせて、なお、ほかに二人の幼児おさなご
を、そばに寝かしつけていた。 乳ち
のみは、去年生まれで、明けて、二歳であるが、生まれたまだやっと七月ななつき
ぐらい。 名は、牛若うしわか
。 (後の義経) その上が、六ツの乙若おとわか
。 (後、出家) かしらの今若いまわか
(後、出家) でさえ、ようやく、八ツになったばかりの、がんぜなさである。 「むりもなや、むりもなや」 常盤は、泣き止まぬ牛若に、頬ほお
ずりしながら、一緒に、泣いた。この母すらまだ、この春で、二十三という若さなのである。 「乳も出ぬゆえ、飢ひ
もじゅうて、泣くのであろう。・・・・蓬子よもぎこ
は、どうしやったぞ。・・・・もう、戻ろうに、泣いてたもるな。この母も、身も世もないぞえ」 ほかの子までが、目をさましてはと、常盤は立って、堂の内を、おろおろと、夜すがら巡り歩くのだった。 ゆうべも、こよいも。 こよいは、正月三日、後に思い合わせれば、この子たちの父、源義朝は、尾張の野間のま
の豪族ごうぞく 、長田おさだ
忠致ただむね のために、だまし討ちにされて、この夕べ、すでに落命していたのである。──
虫の知らせともいうものであったろうか、牛若も、宵からヒイヒイ泣いてばかりいるし、常盤も、胸さわぎに閉じられて、常でさえ出の細い乳が、牛若の唇くちびる
を濡らすほどな雫しずく にも垂れて来ない。 清水寺の観音へは、彼女は前々から月詣つきまい
りを欠かしていなかった。顔見知りの寺僧もある。── で、捨て難い家を捨てた日、召使たちとこの山へ逃げて来たのであったが、 (六波羅武者が、あなたと、義朝どののわすれがたみを、血まなこで探していますぞ) と、山の者にも、注意されて、身の置き所もなくなった。 連れていた召使たちも、みな逃げ去ってしまい、蓬子よもぎこ
という子守女が、ひとり残っただけである。── 清水寺の法師たちも、あわれとは見ても、六波羅をはばかって、みな迷惑顔を反向そむ
けてしまう。 密告もしないが、庇かば
ってもくれない。 すると、光厳こうごん
という若い学僧があった。見るに見かねて、 (子安観音の御堂の一つに、めったに、たれも入らない所があります。そこで、しばしお過ごしなさい。わたくしが、お匿かく
まい申し上げます) と、母子を、おとといの夜から、そこへ隠した。 うすい夜の具もの
も、むしろも、母子の露命をやっとつなぐほどな食物も、みな光厳が、堂衆の眼をぬすんで、そっと運んでくれているのであった。 彼女は人の無情と愛情を、今ほど身に沁し
みて知ったことはない。 都の美少女千人のうちから百人を選び、百人から十人を選び、その十人からただ一人選ばれて ── 九条院の中宮ちゅうぐう
呈子の雑仕女ぞうしめ に挙あ
げられたときは、 (世にたぐいなき、果報な乙女おとめ
) と、洛中の子女から、羨望せんぼう
のまとにされた常盤である。 十四 ── 初めて黛まゆ
を描き、十五 ── 簾裡れんり
に裳もすそ をひき、十六 ──
義朝に恋されて、女院の園の、朧おぼろ
な花蔭に、春の月を、悲しいものと見た年には、もう上の今若を、身にやどしていたのだった。 それからの、みじかい年月。 しかし、夢のように、常盤には、幸福であった。 女院からも愛されたし、夫つま
なる義朝にも、彼女は、ただの一度も、愛情の不足を思わせられたことはない。 男とは、義朝のことであり、世間とは、女院のうちのこととばかり、わき見も知らず、宮勤めと、子たちの中で、暮してきた彼女でもあった。 いきなり、常盤は、戦火のちまたへ、あらあらしい人間たちの生き争う世間の路傍へ、ほうり出された。 子を抱いて。──
しかも、敗者の片われという、きびしい罪の追捕ついぶ
をうけて。 |