〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/24 (水) たん だい しよう しん (一)

清盛がいい張るとおり 「将来にため」 には、このさい、死罪を与えて、絶対に殺してしまうのが、ほんとか、それとも、池ノ禅尼が主張するように、 「後世ごせ功徳くどく のため」 命だけは助けて、流罪にでも、したものか。
ここに、 “頼朝の処分” という一問題をはさんで、禅尼よ清盛の間には、日ごろの感情も交えた心の溝を、さらに深めた形となった。
頼朝。── それは、おり の中の生命、無力、無抵抗の一少年。
その一個の小さな生命の上に、いま、起こりかけている運命の振り 子ほど、微妙不可思議なものはない。
生も、死も、頼朝自身には、関係がないようなものである。清盛の意志。尼の主張。二人の心の振幅しんぷく ひとつで、定まるものであった。
尼は、その日、悄然しょうぜん と帰った。
けれど聡明な尼である。思いとまって、止むほどなら、初めから口出しはしない。
彼女は、あくまで自己の 「ぜん 」 を信じ、 「慈悲者じひしゃ 」 として、このことに臨んでいるので、はたの想像も及ばない信念を持っていたらしい。
彼女の牛車は、六波羅を出ると、まっすぐに池の住居へは帰らなかった。小松谷にある重盛の新邸へ寄って、夜まで、話し込んでいた。
重盛は、清盛と違い、禅尼に対しては、いやしくも逆らわない素直な孫であった。
尼もまた、重盛を幼い時から、こよなく可愛がっている。
「小松殿。あなたも、この尼とともに、父の大弐どのを、いさ めてください」
禅尼が、彼を説いたことは、いうまでもない。
そして重盛が、命に服して、助力を誓ったことも、もちろんといっていい。
次の晩である。小松重盛は、突然、弥兵衛宗清の屋敷を、微行で訪ね、宗清に案内させて、幽居の頼朝を、そっと見た。
頼朝は、その晩も、小机の前にすわって、亡父義朝の追善に、百枚の小さな卒塔婆そとば に、名号みょうごう を書いていた。
だが、小窓やしとみ の月影に、相互の姿が、分かるほどな、明るさはある。
「・・・・?」
筆をとめて、頼朝は、重盛の影を仰いだ。
重盛も、黙って、立っていた。
彼は頼朝のひとみに、
(自分を殺しに来た人ではないか?)
ちする不安が潜んでいるように見えたので、務めて、ものやわらかに言葉をかけた。
「何しておられるの。御曹司おんぞうし
亡父ちち の御供養に・・・・」
「恋しいのか、義朝どのが」
「ええ」
口惜くちお しかろう?」
「いいえ」
「口惜しくない?」
「いいえ」
「じゃあ、どっち」
卒塔婆そとば を書いていると、そんなこと、何も、考えません」
「では、死んで、父の殿との に、会いたいだけか。死ねば、あの世で会えるというから」
「いやです。死ぬのは、怖ろしいことです」
「しかし、おん身は、いくさ にも、出たではないか」
「父や兄に連れられて行きました。・・・・けれど、もう、夢中でしたから、分かりません」
「夢を見るか。まれには」
「え。なんの夢を」
「その義朝どのや、兄上たちの夢を」
「いえ。・・・・ちっとも」
かぶりを振って、頼朝はうつ向いてしまった。きらと、ひざにこぼれるものが見えた。
日ごろ、祖母の禅尼が説く仏教の訓えは、そのまま重盛の人格を す骨組みになっている。しかも のあたりに、敗者の子を見ては、彼が心を動かされたのは無理もない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next