清盛がいい張るとおり
「将来にため」 には、このさい、死罪を与えて、絶対に殺してしまうのが、ほんとか、それとも、池ノ禅尼が主張するように、 「後世
の功徳くどく のため」 命だけは助けて、流罪にでも、したものか。 ここに、
“頼朝の処分” という一問題をはさんで、禅尼よ清盛の間には、日ごろの感情も交えた心の溝を、さらに深めた形となった。 頼朝。── それは、檻おり
の中の生命、無力、無抵抗の一少年。 その一個の小さな生命の上に、いま、起こりかけている運命の振りふ
子ほど、微妙不可思議なものはない。 生も、死も、頼朝自身には、関係がないようなものである。清盛の意志。尼の主張。二人の心の振幅しんぷく
ひとつで、定まるものであった。 尼は、その日、悄然しょうぜん
と帰った。 けれど聡明な尼である。思いとまって、止むほどなら、初めから口出しはしない。 彼女は、あくまで自己の 「善ぜん
」 を信じ、 「慈悲者じひしゃ
」 として、このことに臨んでいるので、はたの想像も及ばない信念を持っていたらしい。 彼女の牛車は、六波羅を出ると、まっすぐに池の住居へは帰らなかった。小松谷にある重盛の新邸へ寄って、夜まで、話し込んでいた。 重盛は、清盛と違い、禅尼に対しては、いやしくも逆らわない素直な孫であった。 尼もまた、重盛を幼い時から、こよなく可愛がっている。 「小松殿。あなたも、この尼とともに、父の大弐どのを、諫いさ
めてください」 禅尼が、彼を説いたことは、いうまでもない。 そして重盛が、命に服して、助力を誓ったことも、もちろんといっていい。 次の晩である。小松重盛は、突然、弥兵衛宗清の屋敷を、微行で訪ね、宗清に案内させて、幽居の頼朝を、そっと見た。 頼朝は、その晩も、小机の前にすわって、亡父義朝の追善に、百枚の小さな卒塔婆そとば
に、名号みょうごう を書いていた。 だが、小窓や蔀しとみ
の月影に、相互の姿が、分かるほどな、明るさはある。 「・・・・?」 筆をとめて、頼朝は、重盛の影を仰いだ。 重盛も、黙って、立っていた。 彼は頼朝のひとみに、 (自分を殺しに来た人ではないか?) ちする不安が潜んでいるように見えたので、務めて、ものやわらかに言葉をかけた。 「何しておられるの。御曹司おんぞうし
」 「亡父ちち の御供養に・・・・」 「恋しいのか、義朝どのが」 「ええ」 「口惜くちお
しかろう?」 「いいえ」 「口惜しくない?」 「いいえ」 「じゃあ、どっち」 「卒塔婆そとば
を書いていると、そんなこと、何も、考えません」 「では、死んで、父の殿との
に、会いたいだけか。死ねば、あの世で会えるというから」 「いやです。死ぬのは、怖ろしいことです」 「しかし、おん身は、戦いくさ
にも、出たではないか」 「父や兄に連れられて行きました。・・・・けれど、もう、夢中でしたから、分かりません」 「夢を見るか。まれには」 「え。なんの夢を」 「その義朝どのや、兄上たちの夢を」 「いえ。・・・・ちっとも」 かぶりを振って、頼朝はうつ向いてしまった。きらと、ひざにこぼれるものが見えた。 日ごろ、祖母の禅尼が説く仏教の訓えは、そのまま重盛の人格を作な
す骨組みになっている。しかも眼ま
のあたりに、敗者の子を見ては、彼が心を動かされたのは無理もない。 |