二月十三日は、あと幾日もない。 その日には、いやおうなく、ここを引き出して、打ち首にしなければならないことを、宗清はまだ、頼朝に聞かせていなかった。 一つの、みずみずした少年の静かな生命を、かれは、毎日見ていた。日を経るほど、惜しみと、ふしぎな愛着を、この可憐
な少年につのらせて来るのを、彼自身も、否まれなかった。 「番の者。弥兵衛やひょうえ
を、呼んで給も」 武者覗むしゃのぞ
きから、頼朝の声がした。用のある時は、ここから、と教えてあるが、めったに、頼朝の方から声をかけたことはない。 「何か、御用ですか」 宗清は、すぐ室を訪ねた。 近ごろは、相互の気心が、一つ家の者みたいに溶け合っていた。 「お、弥兵衛。これくらいな檜ひのき
の板ぎれ百枚と、小刀を貸して給もらぬか」 「檜と小刀をですか。・・・・はて、何を遊ばすおつもりで」 「かぞえてみると、やがて、父義朝の四十九日。小さい卒塔婆そとば
を日課に削って、御供養のため、どこぞの御寺みてら
に寄せたいと思うて」 「・・・・お。もうそうなりますか」 と、宗清は、こういう言葉を聞くごとに、胸を打たれた。彼にも、子はある。彼も親心を知る者だった。凡情にすぎないと思いながら、つい瞼まぶた
をやぶってあふれ出す人間の常なる涙を、どうしようもなかった。 「── 進まい
らせたくは思いますが、お獄舎ひとや
には、掟おきて として刃物を、お入れするわけにはいきませぬ。御誦経ごずきょう
なと、遊ばされませ」 そう、ことわっておいて、宗清は次の日、百枚の小さな卒塔婆を、頼朝の小机へ、運んでやった。 頼朝は、毎日それへ、仏の名号と、父の名を書いた。他念ない姿である。 宗清から、その話を聞いて、池ノ禅尼はまた一しお、不憫ふびん
な思いを増した。なんとか、助けてとらせたい。徳は孤こ
ばらず、これも平家のためである。また、亡な
き家盛への功徳にもなろう ── などと、彼女jは自分の亡ぜん
なる行為とする考えに、いよいよ自尊と自信を深めた。 ついに、彼女はみずから、牛車を、六波羅へ向けた。そして清盛を訪うた。清盛は、義母が奥へ通ったと聞いて、
「来たな」 と思った。すでに心を鎧よろ
うていた。 案のじょう、やがて、侍女をよこして、 「持仏堂まで、来て給もれ」 であった。 清盛は、いつもと違う仏頂面ぶっちょうづら
をわざと持って、むっそりと、義母の前にすわった。 「大弐どの。・・・・お慈悲じゃ。尼の願いを、きいて給もらぬか」 義朝の子、右兵衛佐ひょうえのすけ
頼朝よりとも の、助命の儀ですか」 清盛は、あえて、物々しく、先手を打っていった。 「そうです、先ごろの夜も」 「いや、頼盛からも、お胸の内は伺いました。・・・・しかし」 「いけませんか」 「だめです、義朝の子の処分などは、ゆゆしき問題で、あなた様などのお口を出すところではありません」 何か、清盛は、胸がすいた。こう膠にべ
もない語気で、この義母の上に出たのは、初めてである。だが、禅尼がふと、涙をふくのを見ると、清盛は急に気崩れを覚えた。そして当惑そうに眼をそらした。 禅尼は、ほっと嘆息をもらした。聞こえよがしのため息は、女性のたれもがよくやる仕ぐさであるが、尼はなお、こうしみじみとつぶやいた。 「ぜひもなや・・・・忠盛殿が世におわすではなし、そのお人もいない今ではmぷ・・・・」 女性のねちねちした粘ねば
りに会うと、清盛はつい舌打ちが出る。冷然と、彼は反撥した。 「また、おひがみですかな。いつもの」 「故殿ことの
が、おいで遊ばしたら、よも、我が子から、そのようには、いわれますまい。行く末も、思いやられて、尼は悲しまずにはいられません」 「これは、迷惑する。・・・・たれが、あなた様を、義母ともあがめず、悲しい思いをさせましたか。ただ、頼朝助命のことなどは、黙っておいでなさいと言っただけです」 「どうしても、おきき入れはなりませんか」 「思うても御覧あれい。伏見中納言とか、越後中将とかの手輩てあい
なら、何十人助けおこうと、大事はない。けれど、総じて、弓取りの子というものは、根性の恐こわ
いものですぞ」 「そういう、あなたも、弓取りの子ではないか」 「だからです。清盛には、分かりすぎている。豹ひょう
の子は、豹の子ですぞ。いまは抱けもしょうが、後日、必ず爪牙そうが
をもつ」 「なんの、ひたすらに、亡き人びとを弔うて、僧になりたいと念じている、あの、いたいけない童を」 「母御前ははごぜ
。── もうやめましょう。女どもの屋おく
へなと渡らせられい。あなたは、孫の盛姫を抱いていただくのが何よりだ」 「お子は、可愛かろう」 「可愛い。仰っしゃる通り、子は可愛い。わけて清盛は、親ばかです」 「頼朝も、人の子よ。・・・・どうぞ後世ごせ
を思うて給た べ。後世のおそろしさを」 「また、仏法の因果ばなしですか」 「あ、あ。もういいますまい」 禅尼はくるりと、うしろを向いた。そして忠盛の位牌いはい
を仰いで、次の言葉は、なにやら口のうちで言っていた。 |