武者住居なので、広くはない。すぐ、それらしい一棟
が見られた。渡り縁で断た たれている所から築土ついじ
へかけて、青竹で高い鹿垣ししがき
が結ゆ いまわしてある。そして室は、妻戸も閉じ、蔀しとみ
も下ろし、ほんの明りとりに、窓だけが開いていた。 ときどき、番の者が顔を寄せる 「武者むしゃ
覗のぞ き」 の外に、禅尼を、そっと立たせておいて、宗清だけが、内へ入った。 いつ覗いても、そして今も、白檀びゃくだん
の彫像のように行儀よく、頼朝は、円座えんざ
を敷き、小机の前に、すわっている。 「あ・・・・ら・・・・」 と、つぶらな彼の眼が、宗清をふり向いた。── いや、紅梅を見つめた、その匂にお
いに。 宗清とは、朝夕に会っているが、紅梅は、こんなにも咲いたのを、初めて、知ったらしい。 「きれいですね」 「きれいでしょう。ことしは、年暮くれ
にも正月にも、雪が多かったので、遅咲きでした」 「雪は、思い出したくありません」 「げにも、心ないことを、ついいいました。壷へでも、さしましょうか」 「あとで、、水をいただいて、自分でさします。・・・・ありがとう」 頼朝は、頭を下げた。梅は、彼の読書していた小机のそばに置かれた。 「折り梅の、折れ口を、彼はそのまま見つめていた。 紅梅の枝は、花ばかりでなく、樹心じゅしん
の肉まで紅あか かった。 宗清も、彼が見ている物へ眼をそそいだ。そしてこの少年に対する自分の同情が、主家のためには、将来、危険なものに思われて来た。 だが、知りながらも、彼が同情を抱かずにいられなかった理由は、この少年に充分その危険な素質が見えるからでもあった。さむらいの素質が、さむらいの彼には、尊くて、いたましくて、散らすには、余りに無残と、惜しまれてならないのである。 「きょうは、何をしておいででした。和歌でも、お詠よ
みですか」 「いいえ、読書していました」 「御本ごほん
は」 「いつか、お借りした白楽天はくらくてん
の詩書、それと、司馬遷しばせん
のの史記しき 」 「どちらが、面白うございますか」 「詩文はつまりません」 「ではやはり、異朝の治乱興亡や、その中の人物を描いてある史記や春秋しゅんじゅう
などの方がお好きですか」 「・・・・・」 頼朝は、すぐ答えなかった。 そして、しばらくしてから、 「そんなにも好きではありません。ただ、おもしろいだけ」 「それでは、心から、お読みになりたい書物は」 眸で糺ただ
すような宗清の顔つきを、頼朝の眸が、静かに、見すえた。無邪気というものかも知れないのだ。しかし宗清には、この少年に、大人おとな
の言葉の表裏を読む能力があるように思われて、はっと、眼をそらした。 そらした眼の方に、 「武者覗き」 がある。禅尼」も外で耳をしましていよう。頼朝がどう答えるかに、宗清はなぜか人知れぬ胸騒むなさわぎ
を抱いた。 山繭やままゆ
の白小袖しろこそで に、うす紫の、あけぼの染めの公達袴きんだちばかま
をはき、頼朝は、円座の上に、あぐらをくんだまま、ぽかんと、考えるでもないような顔をしていたが、突然、 「── お経文です。仏さまのことを書いてある書ほん
が、いちばん好きです」 と答えた。 そしてその、あどけない笑顔のまま。 「仮名書きの経典か、でなければ、釈尊しゃくそん
の伝記があったら、こんど見せてください。もしあったら」 「あるにはありますが・・・・。どうして、あんな仏くさいものを」 「でも、なんだか、好きです。──
きっと死んだ母君に連れられては、始終、嵯峨さが
の清涼寺やら諸所の御寺にお詣まい
りしたせいかもしれません。中河の上人のおはなしも聞いたし、いつか、黒谷くろだに
の草庵そうあん で、法然ほうねん
というお坊さまの話も聞きました」 「それで・・・・」 「え、それで・・・自分も大きくなったら、武者よりは、お坊さまになりたいと、思っていました。・・・・けれど、もう」 頼朝は、うつ向いた。武門の約束は、少年たりとも知っている。死は、観念しているらしかった。
|