〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/23 (火) こう ばいしん ま で あか い (三)

慈悲者であることを、仏弟子の第一義とし、また、第一のよろこびとする必然からも、池ノ禅尼は、なおのこと、顔を曇らせた。
そうした母子の気色を、宗清は、こまかなまな ざしで、見澄ましていた。何か、胸のものを、訴える機会を得たように、頼盛を見て、言い出した。
「あの御曹司おんぞうし も、この春で十四。・・・・思い合わせれば、お くなり遊ばした兄君の家盛いえもり 様も、もし世におわせば、同じお年ごろでございましたなあ」
「そうだ、兄上がいればな・・・・」
「しかも、よう似ておいでなさるのです。家盛様の公達きんだち ぶりと」
「宗清」
と、禅尼は、引き込まれるように、話の中へ入って来た。そして頼朝の身について、あれこれと、にわかに、宗清へ きほじるのであった。
宗清は、ここでは、ありのままを、語ったにすぎない。
けれど、彼の心の底に、頼朝への同情が潜んでいたのは確かだった。ただ彼の場合は、禅尼の仏心とはやや異なる “もののふのあわれ” からわいている同情であった。それは勝敗の地位を一歩変えれば、自分もすぐ同様な境遇に立つ者であることを、なんとしても拒み得ない、同根同性どうこんどうせい の人間であるという前提による非情からのものである。余りに人間の平然とやる残虐性を見て、その惨虐に教えられた反対な一面の人間本性なのである。
似ている。
死んだわが子の家盛とうり 二つだという。
このことは、池ノ禅尼の母性を他愛なくかき乱した。それが仏者の慈悲の心がけというものと、結びついて、
「なんとか、助けてとらせたいが」
と、その夜、眠りについてからも、うつらうつら思いつづけた。
彼女のまぶた には、子の家盛が描かれているのである。無性に、死んだ子に、会いたくなった。
幾日かおいて。
禅尼は、坪の紅梅を一枝折らせ、それを持って、広い庭つづきの築山を越え、やぶ をよぎりして、頼朝の屋敷囲いに隣している宗清の家の庭に姿を見せた。
雑色ぞうしき に、宗清を呼ばせた。そしてたずさ えて来た紅梅を示して、
「あわれなおり の中の子に、ひと枝、つぼ にさして、見せてやるがよい」
と、宗清の手へ渡した。
「お、これを賜りますか」
宗清は、自分が慰問されたように、紅梅に枝を拝して、低く頭を下げた。つよい梅の香が、眼にも鼻にも沁みて、宗清はうっかり涙ぐみかけた。
「そして。・・・・宗清」
禅尼は、小さい声で、何かいいふくめた。宗清は一も二もない様子をして、
「ほかならぬ尼公さまのこと。お隙見すきみ ぐらいは、なんの仔細しさい もございますまい。ことに仏者のお立場として」
先に立って、庭の内へ引き入れた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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