慈悲者であることを、仏弟子の第一義とし、また、第一のよろこびとする必然からも、池ノ禅尼は、なおのこと、顔を曇らせた。 そうした母子の気色を、宗清は、こまかな眼
ざしで、見澄ましていた。何か、胸のものを、訴える機会を得たように、頼盛を見て、言い出した。 「あの御曹司おんぞうし
も、この春で十四。・・・・思い合わせれば、お亡な
くなり遊ばした兄君の家盛いえもり
様も、もし世におわせば、同じお年ごろでございましたなあ」 「そうだ、兄上がいればな・・・・」 「しかも、よう似ておいでなさるのです。家盛様の公達きんだち
ぶりと」 「宗清」 と、禅尼は、引き込まれるように、話の中へ入って来た。そして頼朝の身について、あれこれと、にわかに、宗清へ訊き
きほじるのであった。 宗清は、ここでは、ありのままを、語ったにすぎない。 けれど、彼の心の底に、頼朝への同情が潜んでいたのは確かだった。ただ彼の場合は、禅尼の仏心とはやや異なる
“もののふのあわれ” からわいている同情であった。それは勝敗の地位を一歩変えれば、自分もすぐ同様な境遇に立つ者であることを、なんとしても拒み得ない、同根同性どうこんどうせい
の人間であるという前提による非情からのものである。余りに人間の平然とやる残虐性を見て、その惨虐に教えられた反対な一面の人間本性なのである。 似ている。 死んだわが子の家盛と瓜うり
二つだという。 このことは、池ノ禅尼の母性を他愛なくかき乱した。それが仏者の慈悲の心がけというものと、結びついて、 「なんとか、助けてとらせたいが」 と、その夜、眠りについてからも、うつらうつら思いつづけた。 彼女の瞼まぶた
には、子の家盛が描かれているのである。無性に、死んだ子に、会いたくなった。 幾日かおいて。 禅尼は、坪の紅梅を一枝折らせ、それを持って、広い庭つづきの築山を越え、藪やぶ
をよぎりして、頼朝の屋敷囲いに隣している宗清の家の庭に姿を見せた。 雑色ぞうしき
に、宗清を呼ばせた。そして携たずさ
えて来た紅梅を示して、 「あわれな檻おり
の中の子に、ひと枝、壷つぼ にさして、見せてやるがよい」 と、宗清の手へ渡した。 「お、これを賜りますか」 宗清は、自分が慰問されたように、紅梅に枝を拝して、低く頭を下げた。つよい梅の香が、眼にも鼻にも沁みて、宗清はうっかり涙ぐみかけた。 「そして。・・・・宗清」 禅尼は、小さい声で、何かいいふくめた。宗清は一も二もない様子をして、 「ほかならぬ尼公さまのこと。お隙見すきみ
ぐらいは、なんの仔細しさい もございますまい。ことに仏者のお立場として」 先に立って、庭の内へ引き入れた。 |