〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/22 (月) こう ばいしん ま で あか い (二)

彼女が、洛北の池のわが家へ帰ってから、五日ほど後のことである。
「母上、お邪魔してもよろしゅうございますか」
よ、頼盛が、そこの部屋をうかがった。
頼盛は、実子である。
自然の情において、腹違いの清盛とは、まったく異なるものがある。
住居も、頼盛の屋敷囲いの内にあった。
「お・・・・。頼盛か、おはいり」
「御写経ですか」
「まあ、よい、そなたも新たに尾張守になられて、何かと、忙しかろうに」
「じつは、その尾張の領国へ、使いにやりました家人の宗清が、一昨日、立ち帰って参りましたが、旅の途中で、意外な小冠者こかじゃ を召し捕えて来ましたので、いやもう、昨日は、忙しい思いをさせられました」
「ほ、宗清がの・・・・。して、捕えた小冠者とは、たれかや」
「義朝の三男、頼朝と申して、明けて十四歳の童子武者です」
「オオ、頼朝をの。・・・・それはお手功てがら ではあったが、十四というては、まだ子どもよ。── なんで、戦に出たやらも、分かっていまいに、不憫ふびん なもののう。して、身柄みがら は」
「六波羅殿のおさしずのくだ るまで、ひとまず、宗清のやしきに、囲っておきました」
「大弐どのの、御処分のもようは」
「今日にも、お沙汰さた のあるはずでございますが」
この話は、それなりで終わった。
清盛に対しては、常に、あのような禅尼でも、頼盛を見ると、本能そのままな世の母親と変わりはない。
「まあ、遊んでいやい」
と、帰りかえる頼盛をひきとめ、
「母が手づくりのすしなと参らせよう。このごろは、会うのもまれよ。母と一緒に食べて も」
と、侍女を呼んで、くりや へ、ぜん をいいつけなどした。
おりふし、弥兵衛宗清が、主人を探して、中門の外まで来た。
「待たせておくがよい」
小侍への返辞は尼の口から出た。母子水入らずの楽しい小閑を、惜しむのであった。
むつまじく、母子はすしを食べ終わった。やがてのこと、宗清は、そこへ呼ばれた。
「宗清、六波羅殿のお沙汰さた か」
「はい、お使いをもって」
「なんと、あった。── 頼朝の処分は」
「打ち首にせよとの御下命です。日は、この二月十三日と」
「・・・・そうか」
なんとなく、頼盛はふさぎこんだ。いま食べたすしの味が唾液だえき に浮くのをゴクとにんだ。
正直、彼はもう人を斬るのがいや なのである。敵とはいえ、戦後、余にも多くの人間が斬られたのを見て来たし、伏見の津から出る流人船の見送りが、毎日のように、立ちむらがって、号泣ごうきゅう しているといううわさも耳にきいている。
それもまだ市中に戦火の余燼よじん が煙っているうちならだが、平和となり、戦捷せんしょう の春につつまれ、坪にも咲き出た紅梅や白梅をながめながら、母子、すしなどを食べ、こうむつまじく暮らす日となっては ──
(いやだなあ、また、むごい手をくだすのは。ましてまだ年端としは もゆかぬ少年を)
と、心が、心に中で、つぶやかずにいなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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