彼女が、洛北の池のわが家へ帰ってから、五日ほど後のことである。 「母上、お邪魔してもよろしゅうございますか」 よ、頼盛が、そこの部屋をうかがった。 頼盛は、実子である。 自然の情において、腹違いの清盛とは、まったく異なるものがある。 住居も、頼盛の屋敷囲いの内にあった。 「お・・・・。頼盛か、おはいり」 「御写経ですか」 「まあ、よい、そなたも新たに尾張守になられて、何かと、忙しかろうに」 「じつは、その尾張の領国へ、使いにやりました家人の宗清が、一昨日、立ち帰って参りましたが、旅の途中で、意外な小冠者
を召し捕えて来ましたので、いやもう、昨日は、忙しい思いをさせられました」 「ほ、宗清がの・・・・。して、捕えた小冠者とは、たれかや」 「義朝の三男、頼朝と申して、明けて十四歳の童子武者です」 「オオ、頼朝をの。・・・・それはお手功てがら
ではあったが、十四というては、まだ子どもよ。── なんで、戦に出たやらも、分かっていまいに、不憫ふびん
なもののう。して、身柄みがら
は」 「六波羅殿のおさしずの降くだ
るまで、ひとまず、宗清のやしきに、囲っておきました」 「大弐どのの、御処分のもようは」 「今日にも、お沙汰さた
のあるはずでございますが」 この話は、それなりで終わった。 清盛に対しては、常に、あのような禅尼でも、頼盛を見ると、本能そのままな世の母親と変わりはない。 「まあ、遊んでいやい」 と、帰りかえる頼盛をひきとめ、 「母が手づくりのすしなと参らせよう。このごろは、会うのもまれよ。母と一緒に食べて給た
も」 と、侍女を呼んで、厨くりや
へ、膳ぜん をいいつけなどした。 おりふし、弥兵衛宗清が、主人を探して、中門の外まで来た。 「待たせておくがよい」 小侍への返辞は尼の口から出た。母子水入らずの楽しい小閑を、惜しむのであった。 むつまじく、母子はすしを食べ終わった。やがてのこと、宗清は、そこへ呼ばれた。 「宗清、六波羅殿のお沙汰さた
か」 「はい、お使いをもって」 「なんと、あった。── 頼朝の処分は」 「打ち首にせよとの御下命です。日は、この二月十三日と」 「・・・・そうか」 なんとなく、頼盛はふさぎこんだ。いま食べたすしの味が唾液だえき
に浮くのをゴクとにんだ。 正直、彼はもう人を斬るのが厭いや
なのである。敵とはいえ、戦後、余にも多くの人間が斬られたのを見て来たし、伏見の津から出る流人船の見送りが、毎日のように、立ちむらがって、号泣ごうきゅう
しているといううわさも耳にきいている。 それもまだ市中に戦火の余燼よじん
が煙っているうちならだが、平和となり、戦捷せんしょう
の春につつまれ、坪にも咲き出た紅梅や白梅をながめながら、母子、すしなどを食べ、こうむつまじく暮らす日となっては ── (いやだなあ、また、むごい手をくだすのは。ましてまだ年端としは
もゆかぬ少年を) と、心が、心に中で、つぶやかずにいなかった。 |