池ノ禅尼は、この正月中を、六波羅の家族たちとともに暮していた。 たくさんな孫や姪
や一族の女子どもたちの中で、毎日、他愛なく、 「おばば様、池のおばば様」 と、取り囲まれて、避難以来、もう一月の余も、池のわが家や
へ帰るのを忘れていた。 だが、孫たちの中で、そう呼ばれているには、彼女は余りに若くて、何か、そぐわないほどであった。忠盛の未亡人であり、早くから貞潔を守っているが、年から言えば、まだ四十がらみで、清盛と姉弟きょうだい
だといっても、おかしくは見えない。 どどうかして、妻の時子と、むつまじく並んでいるおりなど、清盛は、見比べて、 (お若いなあ。父の後家ごけ
が、我が女房よりも、きれいに見えるとは、うらさびしい) と、ひそかに、自分の閨ねや
をあわれむことすらある。 そのくせ清盛は、この義母には、どういうものか、頭が上らない。生みの親以上、彼女の命には服さなければならない者みたいに観念されてしまうのだ。何か後天的に、うまくしつけられてしまったのではないかと、自分でも時々、疑ってみることがある。 今朝も
── である。 参内のため「、衣冠をつけて、出仕しゅっし
のしたくをしていると、 「尼公にこう
さまが、持仏堂じぶつどう で、お待ちあそばしておられまする」 と、禅尼の侍女が、呼びに来た。 朝の一とき、持仏堂にこまって、法華経ほけきょう
を誦よ むのは、義母の日課であるが、清盛には、そこは余り好きな部屋ではない。父忠盛の位牌いはい
があるだけでも、何かさびしいひややかな床ゆか
なのだ。 「お召しでしたか」 妻の時子も、つつましく、尼の前に、置かれていた。 「お礼をいうのに、お越しを給うてすみません」 禅尼のうしろには、まだ、香こう
のけむりが、薫々くんくん と、立ちめぐっていた。鶯うぐいす
の声が聞こえる横の小蔀こじとみ
から、朝の明りがさし入って、白ねりの絹に包まれた彼女の横顔を浮き彫りのように見せている。須弥壇しゆみだん
や厨子ずし の荘厳しょうごん
も、格天上ごうてじょう の燈籠とうろう
や瓔珞ようらく も、すべて、繭まゆ
のように真白い彼女の姿一つを引き立てるためにあるようであった。 ははあ、おそらくは、と清盛はひそかに思いあたった。── この義母のように、長く女の貞潔をとおして、世に亡な
い人へあるように仕え、こういう荘厳の中に、朝夕、薫染くんせん
されていると、自然、その身自体が、生き仏になったような幻覚を持ってくるのではあるまいか。 どうも義母の姿はそう見える。つまり忠盛という亡夫に半分乗り移っているものだろう。清盛はそう解した。そうと分かれば、扱い方もあると思った。 「あらたまって、お礼とは、にわかに、なんの仰せごとですか」 「いやの・・・・」
と、禅尼はほほ笑んで 「思わず、ひと月もいてしもうたが、頼盛がしきりに、迎えをよこすので、今日は池のわが家や
へ戻ろうと思う。洛内の騒ぎか起こる年暮くれ
のうちから、久しいこと、お世話になりましたぞよ」 「や、お帰りになりますか。清盛こそ、戦乱の始末にまぎれ、つい、御孝養も怠ってばかりいて、申しわけありませぬ。・・・・が、まもなく六波羅の内に、良い地所を見立てて、お住居も新たに御普請ごふしん
いたす考えでおりますから」 「やはり、近くにいるに越したことはない。楽しみにしております」 「重盛に舘たち
を、小松谷に新築いたしましたので、頼盛の舘も、あなた様のお住居と一緒のお建てするつもりです」 「お蔭で、この尼のみか、たれもかれも幸せよの。それにつけ、平家一門を担にな
うあなた様は、いよいよ大事な親柱おやばしら
というもの。コを積み、身をつつしみ、公務にはげみ、かりそめにも、以前のような軽々しさではなりません。時子も、良人おっと
の位置を、よう弁わきま えての・・・・。この上とも。良い妻となり、よい母となって、大弐どのを、内で扶たす
けてあげて給も」 「はい」 時子も清盛も、つつしんで、禅尼のことばに、素直を示すしかなった。当然の理を、当然、いう権利のある人が言っているのだから仕方がない。 「しかと、頼みますぞよ、夫婦ふたり
とも」 いいおいて、禅尼は、やがてまた、忠盛の位牌に向かい、何か長い黙礼をして、立ち帰った。 まるで、清盛夫妻に、家事の一切を、代行させておくような禅尼の口ぶりとも聞こえる。清盛には、何か、不合理な気がしないではない。しかし、反抗していい理由もべつに見出せなかった。常に、亡父ちち
忠盛には、不孝の子であったことを詫わ
びているこの息子なのだ。義母とはいえ、せめての孝養は全まつと
うしたいと念じている。それがまた、家長として、一門の子弟に示す、彼の垂範すいはん
でもなければならなかった。 |