〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/21 (日) てん (五)

南へ、南へ、旅の日数ひかず を歩くにつれ街道に沿う耕地には、麦の青さが増している。空には、雲雀ひばり高音たかね
美濃から尾張境への並木道だった。
頼朝は、身軽い姿で、歩いていた。肌着はだぎ狩衣かりぎぬ も、はばきも、わらじも、太刀も火打袋ひうちぶくろ も、みな延寿が、母のように、身支度してくれたものである。
二月きさらぎ 近いこん の大気の果てに、昼の月があった。
「いま、すれちがった童子、なかなかいい子がらではないか、ひな にはまれな」
供の徒歩かち 武者十人ほどの弓や長柄ながえ ごし に、弥兵衛やひょうえの 宗清むねきよ は、馬上からほほ笑ましげに振り向いた。── すれちがって行った頼朝の姿を振り返ってである。
郎党の一人丹波藤三国弘も、一緒に見ていた。
「まことに、気品のある小殿ことの 。尾張あたりの、名のある人のお子かもしれません」
「そうだな、けれど、この騒がしい世に、供人ともびと もつけず、ひとり旅させておくのは、親心にせよ、ちときびしいの。── まだ、加冠かかん (元服) もすんだか、すまないかの少年を」
そのまま、宗清は、何げなく、先へ歩いた。
清盛の異母兄弟、尾張守たいらの 頼盛よりもり家人けにん である弥兵衛宗清の六感に、その時、ふと、何かが呼び起こされたものとみえる。
宗清は、新たに尾張守となった主人頼盛の所領を検分のため、目代もくだい として、同地へ赴いていたものだった。そして、はからずも、領下で起こった重大な一事件を直接扱った者でもある。
それと、関連して、
「・・・・はてな?」
と、彼は、もいちど道を振り向いたのであった。
この正月早々。
左馬頭義朝は、尾張知多郡の内海の里に、長田庄司おさだのしょうじ 忠致ただむね を頼って行き、忠致の変心とは知らず、そのもてなしに心を許し、同家の湯殿の内で、だまし討ちにされ、ついに、首級をかかれてしまった。
義朝の股肱ここう 、鎌田兵衛政家も、主とともに、 にした。
義朝、政家の首級を、都へ送ったり、また長田忠致の行為を、功として、六波羅へ報告するなどの事務も手がけた ── 宗清である。
そしていまは、ひとまず、公務も終わったので、都へ帰る途中であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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