男とは、そこで別れ、彼はただ一人で、青墓の長者
大炊おおい の家の門を訪ねた。 ところが、どうしたことか、広い長者の家は、森閑しんかん
としていて、頼朝が通された一室も、心なしか、仏くさい香煙の気が漂っていた。 「まあ、頼朝様ですか」 そこへ姿を見せるなり、こう言って、泣き転まろ
んだのは、大炊の娘 ── 義朝の愛人、延寿えんじゅ
であった。 延寿は泣くのである。その泣き方もただ事は思われない。けれど頼朝は、涙も出なかった。この女ひと
はただの源氏の敗軍を悲しむのであろうと思っていた。 延寿はやがて、涙の面をぬぐって、ようやく次のように話した。 「御曹司さま。・・・・お父君はもうここにはいらっしゃいません。ただ一夜、お姿を寄せられただけで、ここはもう危ういと仰せられ、尾張の長田おさだ
忠致ただむね をたよって落ちのび給い、正月三日というに、その忠致に計られて、あえない御最期ごさいご
をとげられましたぞや」 「・・・・えっ。父君が」 「御首みしるし
は、尾張からすぐ都へ送られ、東獄とうごく
の門前の樗おうち の木に梟か
けられたとか・・・・」 「ほ、ほんとですか」 「そればかりではありません。お兄上の朝長様も、矢傷やきず
が重おも って、お亡な
くなり遊ばしました。また、御嫡男の義平よしひら
様は、ここでお父君と袂たもと
を分かち、木曾路へ落ちて行かれたまま、なんおお便りもございません」 「では。・・・・父の義朝も、兄朝長も、死んだのですか。もうこの世ではお目にかかれませんか」 「おいたわしい和子わこ
。・・・・あなた様のお身さえ、ここにいては危のうございます。平家の眼が見ていますから」 「・・・・ああ、父上」 支えを失った心の雪崩なだれ
に堪えながら、頼朝は天井を向いたまま、顔じゅうからあふれるものに、まだ十四年の春を迎えたばかりの少年の日を洗い流していた。 「ち、ち・・・・父上・・・・」 唇くちびる
を、肩を、手を、そのふるえが可憐かれん
な全身を揺れ走ったと思うと、彼は突然、赤児のように、わっと泣き伏した。 あとはもう、むちゃくちゃに、わんわん、泣いてばかりいて、延寿にも手がつけられない狂おしさである。 長者の大炊おおい
が出て来て、やっと、なだめすかした。やや落ち着くと、頼朝は、 「もう泣きません。・・・・泣きたくありません」 と、自分から言い出した、そして、大炊に向かってたずねた。 「わたくしは、どこへ行ったらよいでしょう」 「東国へお下くだ
りあそばせ」 大炊は、指を折って、源氏のたれかれのいる地名と人の名をかぞえた。 「都の辺りには、常盤ときわ
どのとやらいうお女ひと もいて、あなた様とはお腹違いの御兄弟もあるそうですが、いずれもまだ、母御のお手も離れぬ和子たちです。東国に下くだ
れば、なお、源氏に心を寄せる坂東武者も少なくはございません」 頼朝は、うなずいた。もう泣かなかった。 |