竹槍が身をかすめた。夢中で払う。また、竹槍を持った男が、前へまわって来る。何か吠
える。 頼朝は怖こわ くなった。 それと同時に、父が思い出され、兄や郎党たちが、そばに見えない心細さに襲われた。 「父上っ、兄者人あんじゃひと
っ・・・・」 立ちふさがる男たちの影を馬は蹴け
とばすように跳と び越えていた。頼朝は手の太刀に雪を切らせながら、なおも馬を飛ばしつづけた。 ──
その夜、彼は、どこえおどう走ったか、自分でも分からない。あらぬ方角へそれていたことだけは確かである。 ついに、馬も乗りつぶして捨て兜も重さに耐えないので、どこかの山林に捨て、そして山や野を、さまよい歩いたにはちがいない。 数日の後。──
山の朝である。 彼は、北江州の里から遠い一農家の納屋廂なやびさし
の下に、疲れ果てたもののように、眠っていた。 そこらには、薪たきぎ
やら炭俵やら積んであった。わずかに、雪が降り余している物の蔭に、身を横たえて、昏々こんこん
と、寝顔を凍らせていたのである。 まもなく、漬物つけもの
を出しに来た山里の女房が、びっくりした声をあげて、小屋の中の良人おっと
を呼びたてた。 平家の沙汰人さたにん
の布令ふれ も、この山奥にまでは及んでいなかったものか、あるいは、夫婦とも慈悲者じひしゃ
であったものか、 「美濃路みのじ
へ行くなら、あの山あいをめぐって、南に見える峠を越え召され」 と、親切に、道を教えてくれた。そして芋粥いもがゆ
に体をぬくめてもらったうえ、頼朝は小屋を出た行った。 なぜか、頼朝は、かなしくなった。 生まれた初めて、人に食物を恵まれたということよりも、人の心のあたたかさにである。 旅の尼に、道で出会って、その尼からも、やさしく注意された。 「和子わこ
よ、不破の関には、あまた平家武者が固めていますぞい。道を間違え召さるなよ」 山の南側へ出てからは、雪もよほど少なくなった。細谷川にそってずいぶん歩いた。幾夜も、猪小屋や山神堂やまがみどう
でひとり寝た。 もう年はかわって、正月になっているはずである。 「美濃の青墓あおはか
の宿しゅく へ行けば」 そこには父や兄が待っていよう。 青墓の長者大炊おおい
くという人のむすめと父義朝との仲に、自分とは、腹違いの妹が一人いるという。 頼朝には、よく理解できないが、とにかく、一族と同じようなものらしい。そして安心できる家にちがいない。 彼は、青墓青墓と、訊き
いて歩いた。そのうちに、大きな川べりへ出た。川舟を洗っていた鵜匠うしょう
らしい男が、彼を見かけて、 「あなたは、源氏の内の、しかるべきお方の御曹司おんぞうし
でしょう」 と、たずねた。 一言で言い当てられたので、頼朝は、かくさなかった。 「義朝の三男、右兵衛佐うひょうえのすけ
頼朝よりとも です」 鵜匠は、さてこそといったような顔つきで、自分の兄弟たちは、都で源氏の雑色ぞうしき
でした。おひとり歩きは物騒です。どこまでいらっしゃるのか、とにかくわたくしの漁小屋までおいでください。と頼朝を誘った。 その漁小屋に二日ほど匿かくま
われて、頼朝は鵜匠の男を案内に、やがて青墓の宿に着いた。 |