〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/21 (日) てん (二)

その箇条によれば、義朝父子の身には、莫大ばくだい な賞がかけられてる、守山の源内は、はからずもその大儲おうもう けを ぎつけたのだ。── 正月はすぐ眼の前という年暮くれ に、これはしし を何十匹仕止しと めたよりは、まとまった金になる大仕事と、興奮したのだ。
仕損じてはと、彼は近所の、のらくら者三名をかたらって竹槍たけやり を持たせ、自分は、どぎつい長柄を引っ抱えて、頼朝の影を、追って来た。
「あれか。一人きりか、源内」
「ひとりだ」
「おかしいなあ」
「どうして」
「いま渡った土橋では、なんだか、ほかにもたくさんな馬の足跡らしいのが、うっすら見えたが」
「ばかあいえ。この大雪に、馬の足跡か何か分かるものか。とにかく、おれが見たのは、あの一騎だ。いつもの居酒屋で寝込んじまったお蔭でよ。・・・・何が、人間に、幸運になるか、知れたものじゃない」
「ありがてえ。この年の暮れへ来て、こんな福の神に会おうとは」
「やいやい。の少し急げ」
「いや、あわてないことにしよう。相手は武者だ」
「といっても、童子武者。義朝の子のひとりに違いない」
「・・・・おや?」
「な、なんだ」
「あいつ、居眠ってるぞ。たしかに、こくり、こくり」
「しめた。それじゃあ、くま の子を捕るようなものだ。よしっ、おれが、やつの馬のあぶみをはね上げて、くら の向こう側へ、もんどり打たすから、てめえたちは、押しかぶさって、動かすな。縄目なわめ はおれがかける」
源内の四 は動物的な跳躍をえがいた。しかし、とたんに、頼朝の顔が、こっちを見たので、さすがに、ぎくと足をとめ、
御曹司おんぞうし 、どこへ行かっしゃる」
と、投げつけるように言ってみた。
頼朝は、何も、答えない。
かえって、このとき、父や兄たちからはるかに退 がってしまったことに気づいたらしく、霏々ひひ と舞う青じろい幻をうつつに見まわしている。
かぶと も重たげな雪の眉廂まびさし の下にふと仰がれたその双眸そうぼう可憐かれん さ、豊頬ほうきょう の気品などに、源内のいやし心は、いやが上にも、肋骨あばら を破るほど、ふくれあがった。
「落人っ。降りろっ」
ひたと、鞍へ寄って、片手で頼朝の右脚のあぶみをつかんだ。
頼朝は、身をねじった。身を斜めにすれば、あぶみを上げられたぐらいで、落馬はしない。
「こ、こいつ、降りろっていうに」
源内は、もう一ぺん、力を込め、大口あいてののしった。
もの かな」
頼朝は不意に叫んだ。
手が太刀へゆくやいな、抜き打ちに、源内のあたまのこう を斬り割っていた。
半眠りのまま斬ったのである。無我夢想の太刀ほどよく斬れるものはないという。わっと、相手の絶叫に、頼朝は、ほんとに眼を ました。同時に、あたりが明るくなったように、ぱっと赤い雪を見た。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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