白い、白い、果てなく白い道、白い夜。 頼朝はたまらなく眠かった。馬の背である。が、その馬上の揺られ心地までが、子守歌を聞く揺
り籃かご の中にあるような、快こころよ
い幼心おさなごころ を誘って、欲も得もなく、眠気にくるまれてしまうのであった。 こくん・・・・こくん・・・・ろ¥と彼はいつか居眠りしだした。 馬上の居眠りを
「馬ねむり」 といって、これはよく、行軍中の武者には見られえる姿だった。 が、今の彼は、春の日の行軍ではない。 ── おういっ。 ── 佐殿すけどの
ようっ。 耳には、ときどきそれを聞き、口ではそのたび、 「おういっ・・・・」 と、答えていたつもりである。 しかし、またすぐ、こくり、と居眠りが出る。 むりもない。もう三、四日の年暮くれ
をこえても、明けて、十四歳でしかない童子武者だ。父や兄のようには今日の境遇とて悲痛ではなかったろう。いや、少年の感じやすい情血に、かえって、父や兄以上、深刻であったとしても、一時の悲涙も、時をへれば、すぐ、けろりとしてしまうのが、少年である、少年の健康さである。 手綱を持ってさえいれば、手綱が自分を連れて行ってくれる。そんな気持であったろう。頼朝はなんの不安も感じていない、豊な生命が、不安をうけつけない。 守山の宿しゅく
は覚えている。篠原堤を過ぎたのも知っている。・・・・が、あとは意識界の道ではなかった。馬の歩みにまかせていた。 tと。── 遠くからその後あと
を。 三、四人の男が、雪を蹴って、追い慕って来た。 守山の源内という地ざむらいと、附近のならず者たちであった。 守山の宿には、この夕べ、六波羅の沙汰人さたにん
が来て、土地ところ の村長むらおさ
や、郷士、百姓までを集め、 (落武者を見たらすぐ訴え出よ。薬餌やくじ
を求めて来たら、親切顔にたぶらかし、大勢して搦から
め捕れ) と、賞罰の箇条を書いた立札を、あちこちに建てて引き揚げていた。 |