佐藤式部と平賀四郎が、さらに遠くまで戻ろうと言うと、義朝の沈痛な声が、急に、否と、止めた。それは、三千大千世界に大雪を篩
う空よりも暗然たる悲しみと自制を込めた声であったけれど、 「待て、待て、それには及ばぬ、迷はぐ
れた者を、いちいち拾って歩けぬのは、落武者の負う、かなしい慣なら
いだ」 と、言った。 切々と、雪が鳴る。雪つむじが、複雑な旋律をえがく。 飛沫しぶき
の淵ふち にかたまり合う魚のように、七騎の影は、寄り添った。そしてたれひとり、義朝の面おもて
を、見られなかった。兜かぶと
の眉廂まびさし に、氷柱つらら
を垂れ、睫毛まつげ に雪をとめて、うつ向いていた。 「とかくするうち、夜が明けよう。街道に人を見ない間に、道を変えて、山地へ入り込んでしまわねば、遁のが
れる望みは絶え果てる。ひとりの頼朝は欠けても、ここにいるこれだけの者が、地下に耐え、草の根に忍び、再起の日を念じておれば、いつか源氏に恵む春の日も回めぐ
って来よう。── 惜しむな、惜しむな、頼朝ひとりと、源氏の将来とを、換えるわけにはゆかぬ」 義朝の言葉の終わるのを待ちかねて、鎌田兵衛も、平賀四郎も、口々叫んだ。 「それは余りなお気強さです」
と。そして佐渡式部もまた、一しょに諫いさ
めた。 「若殿方三名のうちでは、お年もいちばん幼く、とりわけ、お心も優しい佐殿すけどの
を、この雪中にお見捨てあっては、一生、御後悔のたねとなり、あわれ、酷むご
き親かなと、世の誹そし りにもいわれましょう。ままよ、明日は明日の運まかせとしても、ここは道を引き返して、佐殿をお見出し申さねば、われらとて先へ進むにも進まれません。──
やよおのおの、手分けをして、もう一度、佐殿を呼ばわり給え」 と、駒首を向け直して、みな後へ駆けようとした。 「いや待て。志こころざし
は、うれしいが、義朝とて、可愛くない子ではない。けれど、敵地に子を捨て去る非情も、今の義朝の場合、それも父の愛ぞと、思い断た
つしか思案はないのだ。敗やぶ
れても義朝はなお源氏の総帥そうすい
、左右数騎のものばかりか、東国の野には、我を一党の親とも大将とも恃たの
んでいる輩やから がたくさんいるを思えば、頼朝ひとりの親ではない。可愛いといったら、おれは無数の可愛い者を抱いている身だ・・・・」 語気をかえると、義朝は、吃きつ
と、吹雪の闇へ向かって合掌した。そして祷いの
るように言った。 「あわれ、こよいの荒天よ。一子頼朝を、いかようにも、試みよかし。── もし運命これまでの者ならば、凍こご
え死なし給え。またもし行く末、何かなす者ならば、風雪の鍛きた
えを、大慈悲の恵みとして、生かし給え。八幡、守らせ給え」 そして彼は、断ちがたい絆の迷いを、一断したような弾はず
みを姿に持ち直して、 「もう、返り見するな。さ、急ごう。明けぬ間に」 「と、真っ先に、駆けてしまった。 ぜひなく、他の人びとも、それには続いた。義朝の後を追いかけた。──
けれど、若党の金王丸だけは、義平や朝長と何か眼まぜをかわしてあとに残った。そしてやがて、彼一人は、西の方へ戻って行った。 |